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コーギーとお昼寝

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太陽が昇る海6

出雲から帰って来てから時折堺は俺に絵ハガキを送ってよこした。
その内容は俺にとって心底どうでもいい内容だったが、見慣れない関西の風景の描かれたハガキは俺の興味をそそってきたので捨てたりはしなかった。
「君津、また堺からハガキだよ」
「今度は?」
「石切神社の絵だった、君津も偶には返事でも書けばいいのに」
「別に、」
「じゃあ代わりに返事書いとくよ」
「なんで」
「いっつつも向こうに手紙書かせるのは良くないと思って」
「……東京に任せるとろくなのにならんから、俺も書く」
そう言って俺をだまくらかしてはどこかから絵葉書を貰ってきて(大体は職員の家に死蔵されていた古い絵ハガキだった)住所と簡単な近況報告だけ書いて投かんした。
操業開始から2年目が過ぎた頃には、八幡は月に一度一週間の滞在していたのが季節の変わり目に1日だけ顔を出す程度になっていた。
「八幡はいつもああだから、」
東京が一度だけ八幡をなじったことがある。
久しぶりに君津のところに泊まるつもりです、と言う手紙が届いて俺はそれを楽しみにしていたのに八幡が釜石を優先して断りの電話を寄越してきたのだ。
後になってからそれが富士製鉄と八幡製鉄の併合の準備の会合であると知ったのだが、当時の俺はそんな事を何度となく体験していたものだからどうもやるせない気持ちになって布団にくるまっていた。
「仕事優先でこっちの気持ちなんて知ったこっちゃないんだ、あの人は」
それが東京の本音であることは分かっていた。
でも、あの人が優先したのは仕事ではなく釜石だったような、そんな気がした。

****

1968年(昭和43年)11月
第一高炉の火入れという晴れやかな記念日を迎えた製鉄所内はいつにもまして賑やかであった。
「君津、」
「……東京」
「こんなところで泣いちゃだめだよ」
「なんで、」
「今日から君津は一人前になるんだ、私よりもずっと大きくて八幡と対等な存在になる」
高炉が火入れするっていうのはそういう事だよ、と東京は言った。
「対等になれたら、八幡も俺の事大切にしてくれるんやろか」
「きっと、大丈夫だよ。だから行こう」







数日後、俺はヘアカラー剤を片手に一人で風呂場に入る。
ブリーチ剤で白くなった髪と少年と青年の過渡期の姿となった自分が鏡に映っている。
箱に書いてある通りに染め剤を作り、髪の毛に染料を塗りたくった。
多少染めむらができてしまったら恥ずかしいが仕方のない事だ、その時は潔く諦めることにしよう。
髪の毛に色が定着した後、髪の毛を洗い流すと黄色みを帯びた金髪が出来ていた。
八幡とは違う、ゴールドの髪は鹿島とは全く違う色ではあるけれど悪くはないと思った。



(これから、一人になるのだ)

八幡とともに立ち並ぶ存在であることの証明のように、立ち上る朝日の色をした髪はお湯を滴らせていた。


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太陽が昇る海5

11月はすべての神々が出雲の地に集う季節で、それは俺たちであっても同じだ。
10月も終わりとなれば、日本神話の最高神であるアマテラスノミコトと製鉄を司る神であるアメノマヒトツノカミ及びカナヤコカミとの邂逅のためちゃんとした衣装を整えて旅支度をすることになる。
すべての神が正服と呼ばれる冠に袍と袴を着用して(平安貴族をイメージしてもらうと分かりやすいだろうか)出雲大社に行くことになる。
八幡の横に一人の若い男の姿を見つけると、かちりと視線がかみ合った。
眼鏡越しに俺を見た青年は微かに唇を動かした。
そうして八幡も俺に気付いたのだろう、こちらを振り向くとすたすたとこちらに近寄ってきて「一人で来られたようですね」とほほ笑んだ。
「……きみが、君津なん?」
「そうばい」
「八幡弁なんやね、まあええけど。俺は八幡製鉄堺製鉄所な」
僅かに含みのある口ぶりで八幡が俺に手を差し出すので、一応の握手を返す。
堺がじっと俺の眼を覗き込むのでぷいっと視線を逸らした。
今思えばあれが始まりだったのだと分かる。
堺が俺を「よっかいち」と呼ぶたびに、俺はどうしようもなくいらだって「四日市じゃない」とむきになって返した。
四日市の存在の事は少しだけ聞いたことがある。
肉体を得ることのないまま消えていったという四日市と重ねられることはどうしようもなく嫌だった。
だというのに、堺はあの時はずっと俺を「よっかいち」と呼ぶのだ。


(俺は四日市じゃなかと、)

微かに歯ぎしりとともに八幡のもとを訪ねても、八幡はいつも不在だった。
「光、八幡はどこね?」
「いないの?」
「おらんかったから聞いとーと」
「ってことは、また釜石さんのお部屋行っちゃったのかな。ほんとあの人は……」
呆れたような溜息を吐いてから、光が思いついたように箱を取り出してくる。
「八幡さんが帰ってくるまでおやつ食べない?ちょうど土地神様からお菓子頂いたんだよ。蜜柑のお菓子」
「……食べる」
蜜柑のお菓子をは見ながら、俺は酷く苦しい気持ちになっていた。


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太陽が昇る海4

鹿島と千葉と言う知己を得て、俺の世界は少しだけ広がった。
2人が外に出る必要性自体感じていなかった俺を外に連れ出して、そこで出会うもの一つ一つに刺激を受けた。
千葉の誘いで都心の大きな劇場で映画を見たり船橋ヘルスセンターにテレビの公開生放送を見に行ったりと、とにかく土日になれば外に連れ出してくるような始末だ。
東京は基本的に俺の外出を歓迎したけれどあんまり連れ出されるので少しは仕事をしろと鹿島を諫めた事もあったぐらいだったが、それでも反省しないのが鹿島なので結局そのまま連れだされるのだ。
『そう言えば俺、東京タワー見たことないから行かない?』
「東京タワー……確かに見たことなかと」
『でしょ?だから見に行こうよ、千葉も行くって』
「分かった。待ち合わせは東京駅でよか?」
そう聞くのは付喪神に与えられた特殊な移動方法(俗にいうワープだ)を使わないという確認でもある。
ワープは便利なのだが、やると結構疲れるので緊急時か出雲に行く時ぐらいしか使わないようにというのが八幡の指示だった。
『うん。土曜日の午後3時ね。それじゃ』
電話を切ると東京が呆れたように溜息を吐きながら「またお出かけ?」と聞いてくる。
「うん、今度は東京タワー」
「住金さんは末っ子を自由にさせ過ぎじゃない……?」
「さあ?」

****

東京駅の改札口千葉・鹿島と合流し、地下鉄と徒歩で東京タワーを目指すことにした。
小中学生くらいの子供が三人で東京タワーに行くのは今だったら目立つだろうが、俺たちは人ならざる身ゆえに人目に付きにくいので問題は特になかった。
「ここだね、」
なだらかな坂を上り切ったとき、千葉がふいに足を止めた。
その目の前には赤と白のまっすぐにそびえ立つ美しい電波塔。
「おっきかねー」
「だね、鹿島と君津は初めてだっけ?」
「俺は東京ってあんまり縁ないもん」
俺は秋晴れの青空に突き刺さる赤と白の美しい塔の姿に見とれていた。
「君津ー?」
くいっと俺の顔を掴んで鹿島が自分の方に向ける。
空と同じブルーの瞳が俺の方に突き刺さってきて鹿島の顔の綺麗さを痛感した。
「君津、鹿島。早く並ばないといつまで経っても展望台いけないよ」
千葉がそう言いながらチケット売り場の行列へと歩き出す。
深い赤の瞳がきらりと瞬いて、奇麗だと思った。




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片恋よさようなら

「わたしは、よっかいち」
彼女はゆっくりと言葉を吐いて俺に手を伸ばした。
一瞬だけ見えた美しく輝く黒い瞳に、俺は一目で恋に落ちたのだ。

片恋よさようなら

四日市と出会ったのは、本社の片隅のうす暗い倉庫だった。
計画のまま肉体を持たずにいた存在であった彼女はほとんど見る事が出来なかったが、ときおり一瞬だけ見えることがあった。
その姿が今も網膜の奥に焼き付いている。

****

その後、俺はずっと四日市との再会を待ち望んだ。
あの美しい黒の瞳と再び出会い、触れる日を願っていたのだ。
しかしその夢は永遠に失われた。
「四日市の計画なら破棄されましたよ?」
「なっ……!」
「光から聞いてませんでした?」
「八幡さん、その言い方は」
踵を返して布団にこもると、ギリリと奥歯をかみしめた。



俺はもうあの子と出会う事が出来ないのだ。

それだけが俺の胸の奥に渦巻いた。
こうして俺は思い出したくもない真黒な暗黒期を迎えることになる。


「……きみが、君津なん?」
「そうばい」
君津の瞳には、四日市と同じ色があった。
艶やかで宝石のような漆黒。
(ああこの子は、四日市の生き写しだ)
「八幡弁なんやね、まあええけど。俺は八幡製鉄堺製鉄所な」
そうして俺は彼に手を伸ばした。


太陽の昇る海で言及した「八幡が操業して少し経った堺のもとに行くわけ」です。
操業開始直後(昭和36年上半期)に四日市と出会って、破棄されたのがその年の秋(建設事務所設置が9月)となります。いちおう。

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太陽が昇る海3

釜石が周囲から見て特別な存在であることに気付いたのはそれから2~3日経ってからの事だった。
朝から俺を近所の無人直売所に行かせて新鮮な野菜を買い込んで作った天ぷらの美味しさ。
八幡は釜石に会いに行くからと上機嫌で出て行った時の声のハリ。
俺を愛してくれているはずの八幡にもあんな顔をする人がいるのだということに、あの頃の俺は少なからず嫉妬をしたのだ。
「八幡、また大阪に行くん?」
「そろそろ堺の様子を見に行かないといけなくて」
「俺のこと気にしてくれんの?」
「私だって仕事なんですよ」
八幡は聞き分けのない子供を宥めるような声でそんなことを言う。
堺とはまだ会ったことは無かったが、既に操業開始から5年が経って既に安定的に動いていたことを考えれば八幡が気にかける必要はあまりなかったはずなのだ。
その理由は後々知ることになるのだが当時の俺にはそんなことは関係のない事だ。
「ここに残ってくれんといや」
「だからそれは無理なんです……戸田、明日は君津の好きなもの作ってあげてください」
「だってさ。諦めなよ、君津」
「うー……」
俺が渋々と言う顔と雰囲気で八幡から離れると、行ってきますとだけ告げてうちを出て行った。
「君津はほんとに八幡好きに育ったな」
「何なん」
「いや、何でもない。明日、何食べたい?」
「チキンカレー」
「了解。明日直売所行くよ」
今思い返せばきっと東京は俺が八幡の特別にはなれないことを分かっていたのだ。
俺と八幡と東京だけの小さな世界はきっと釜石の存在を理解した時からひびが入りだしたのだと、今なら分かる。

****

あれは確か夏も終わりの8月の末頃だった。
「俺は住友金属鹿島、君と友達になりに来たんだ」
突如俺の元にやってきた少年は海の青とキャラメルカラーを纏い、波の輝きに似た笑顔をこぼした。
いつだって鹿島はわが道を突き進んでいて、こうやってわざわざ脱走してまで俺のところに来てしまうようなところがあった。
「……ともだち」
「うん、友達。うち年上ばっかりで年の近い人いないから対等な友達が欲しかったんだよね」
俺は少し返事に迷いつつも、こくりと頷くと「じゃあ、よろしくね」と鹿島は笑う。
そうして友達になった鹿島は俺の小さな世界に入ったひびを大きくさせてきた。
和歌山が不在の時にこっそりと抜け出してはわざわざこの君津の地まで遊びに来て、時には千葉の元まで連れ出すことさえあった。
「ちーばー!」
「鹿島じゃん、ひさしぶりー」
俺よりも少しだけ年上の少年がふわりと笑って手を振る。
ワインレッドの瞳の温かさは俺たちを歓迎しているものだという事はすぐに分かった。
川崎製鉄千葉と鹿島は会社こそ違えど友達になっていて、こうして君津の町から外に出ない俺を引っ張り出すことさえあった。
2~3度遊んでいくうちに周囲を振り回す傍若無人な鹿島とそれを面白がる最年長の千葉を諫めるのが俺の役割のようになっていて、呆れながらも俺自身それを楽しんですらいた。
鹿島の底抜けの明るさと千葉の面白がりな気質は俺の周囲にはないものだった。





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17.6.17千葉について少し追記

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