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コーギーとお昼寝

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遠い夢を抱える

もう、何十年も前のこと。
「跡形も無いですね・・・・」
「結城さん、もう何十年も前のことですから」
上野発水戸線経由真岡行き・特急つくばねが走っていた時代があった。

遠い夢を抱える

小山駅短絡線跡
そこは水戸線がわずか数年の間だけ使っていた特別な場所だった。
「東北本線から水戸線、そして真岡線。ほんとうにわずかでしたよね」
「それでも私には誇りでした。何十年も生きていて初めて特急が走ったんですから」
名残の無い地面に触れる。
夜の冷たい風が体温を奪い、凍りそうな指先であの日を思った。

*         *

1968年・結城
「水戸線が電車化・・・・・!」
「ええ、常磐線も電車ですからね。それで真岡への直通は切るつもりです」
「それは喜ばしいことですねぇ・・・・・それでは真岡がどう思うかが見えてしまいますけど」
鉄道省の血を引き継ぎ、黒い衣に身を包んだ国有鉄道はそう告げた。
下館から真岡・茂木を繋ぐ盲腸路線の名前を挙げると、冷笑するように告げる。
「あれだって国有鉄道ですから」
「そうですがねぇ・・・・・」
相変わらず国有鉄道の腹のうちというものは探れなかった。

そもそも水戸線とその沿線にとって東京への直通列車は夢の一つだった。
水戸鉄道は小山の東北本線に接続するために生み出された路線で、東北本線の始発である上野への憧れは間違いなく強かった。
名前を変え、所属を変え、幾年月が経とうともそれは揺るがなかった。
そのことを私が誰よりも良く知っているつもりだ。

「まあ、私としては茨城の誇りであるつくばねの名前をそうすぐには消してほしくないとだけ言っておきましょう」
「・・・・・善処しましょう」
特急つくばねが急行区間の縮小という憂き目に会い、事実上の普通列車化するのは4年後のことだ。

*         *

廃止から40年近い月日が経ち、記憶している人も少なくなってしまった。
「・・・・・・なにかを失うのはいつの時代も寂しいのですね」
「ええ。
私が生み出されたのは水戸市内や下館・友部などの沿線の人々を東京に運ぶため、それを一番効率良く叶えたのがつくばねでしたから。
最初で最後に水戸線を走った特急はこうやって忘れ去られていくんですかね」
二人で静かに微笑んだのはいいが、それはどこか悲しい微笑だった。




あの日抱えていたのは、遠い昔から紡がれる夢のかけら






つくばねフィーバーを抑えられなかった。
水戸線にとって特急つくばねがいがに特別だったかを書きたかったんです。

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