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コーギーとお昼寝

市町村・鉄道・企業・スポーツチーム擬人化よみものサイト、オンラインブクマはご遠慮ください。

夏の夜の下で

*暑中お見舞いフリー小説です

*連絡さえあればお持ち帰りして展示してくださってもかまいません。
お礼参りに作者が登場いたします。


「夏だねぇ・・・・」
夏の夜風が汗をさらって心地よい。
きょうは日立の家の花火大会で、二人でのんびりと過ごすために来た。
海の目の前にあるビルの屋上は秘密のビュースポットで、日立兄弟専用と化していた。
ここに立ち入れるのはせいぜい上司と水戸ぐらいなものだった。
「スイカ食べる?」
「もちろん!」
氷水で冷やされ、切り分けられたスイカにスイカを多めに振って海辺用の大きな椅子に寝転がる。
「汁」
その指摘で周りを見返すとスイカの汁で周りはべたべただった。
まだ汁気がある分タオルで拭くことは出来るが、スイカの汁は乾いてしまうと意外と気持ち悪い。
「あー・・・・でもどうせ今日は日立んち泊まるからいいや」
着替えあるでしょ?とさも当然のように聞けばあるよと頷く。
「兄様、頼まれた飲み物であります」
「ありがとう」
クーラーボックスにビールとソフトドリンクを詰め込むと打ち上げの合図が鳴り響く。
「そろそろだね」
夏の夜の下で炎の花の饗宴が始まろうとしていた。







ちなみにこの花火は日立市の川原子海岸のものを想定してますが、川島の花火以外の花火大会は行ったことの無い残念クオリティ・・・・・。
そして川原子の花火大会の日付確認したらおとといだったと言う。(川島は昨日でした)

あと、パソコンのネットブラウザ乗り換えたのですがIEと違ってクロームは文字細かくて非常に書きにくい(焦)

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鹿島臨海鉄道、遠き日の夢3

「北鹿島、お前を今度から鹿島臨海のところに送る事にした」
「・・・・・兄さんですか」
「ああ、あいつは顔見知りだろ」
そう言われた時、なんとなくため息をついた。
後に僕が「兄さん」と呼ぶ人は年下だったからだ。

鹿島臨海鉄道、遠き日の夢

それはまだ僕が「北鹿島線」だった1978年のことだ。
『成田空港への燃料輸送ですか・・・』
『東京からの命令でな、日立港から運んだ燃料を常磐線やお前を使って鹿島港に届けて成田に運ぶ計画らしい』
成田空港建設反対運動、いわゆる「成田闘争」のくすぶりで燃料の襲撃が予想されたためこんな複雑なルートを用いることになったと鉄道公団さんは言った。
『ですけど僕は鹿島港まで届いてませんが』
『そこから先は鹿島臨海鉄道がいるだろ』
『まだ建設中じゃ?』
『もう出来てる、あいつからの許可は無理矢理取り付けた。』
それが僕と兄さんの出会いだった。

*          *

『・・・・北鹿島か』
『ええ』
兄さんは僕より生まれたのは遅かったけれど、生まれてから着工までの中断期間が無かったせいか僕より大人びて見えた。
まあ多分水戸さんや鹿島港に展開する企業に厳しく育てられた部分が一番大きいと僕は思う。
『僕より年上に見える』
『そうだな』
この事実を少しばかり皮肉って僕が兄さんと呼び始めるのにはそう時間はかからなかった。
それに兄さんは人付き合いが苦手なだけで意外とまじめだった。
嫌だ嫌だと言いながらも路線を一般解放した。
そのうち僕はこの人は嫌いじゃないと思い始めた。
しばらくしてから成田闘争は静まり、この仕事も終わった。







「うちで燻ってるよりましだろ」
「まあそうですけど、まさか第3セクターになるとは」
「セクターは嫌いか?」
笑いながら水戸さんがマックスコーヒーを手渡す。
一口だけ飲むとコーヒー牛乳みたいな甘さが口に広がる。
「まずい」
「厳しいな、まあこれで文句はねーよな」
そんな文句があるも何も決めるのは水戸さんと国鉄さんなのだ。
(文句もなにも無いでしょ)
「はい」
こうして僕と兄さんは兄弟になった。





                    おわり





ずいぶん開いてしまいましたが鹿島兄弟の出会いはここまでです。
実は資料の漁り方が雑だったせいで鹿島兄の民間へ路線解放の理由が羽田闘争だった事実を知らなかったとか言えない、言えないよ・・・・・・。

ちなみに手元の資料では「鹿島新線」となっていたのですがとりあえず「北鹿島線」で統一しました。

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新しいドアを開いて

「日製、お前さん経営統合するんだって?」
てちてちと伊勢甚が新聞の記事を叩く。
本当に目をつけることは早い奴だと思う。
「ああ」
「ココからは離れないだろう?」
「当たり前だ、東京は空気が悪くて好きになれない」
伊勢甚がため息をつくとまあそうだろうね、と呟いた。
「まあ、わっちはお前さんが生き残ろうとする理由が分からないねぇ」
「頑固でも恩返しする相手がいる、そいつらに返す恩は常に勝利であるべきだ。」
「日立製作所と小平さんの名前を残すことがお前さんの勝利か」
「・・・・・諦めてしまったお前には分からないか」
「ああ」







日立が経営統合すると聞いて。
ちょっと小平さんについては過去編書かないと分かり難いですね。

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そして、僕はもう一度走り始める

*ひたちなか復活おめでとう記念小話



あの震災から4ヶ月が過ぎ、ひっそりとこの街を支えていた。
「海浜」
「ひたちなかさん」
小さな花束にはおめでとうの一言。
「・・・・・・明日から頑張ります」
東京さんがいくらか出してくれても出費は手痛いし、まだまだ状況的に予断を許さない。
「分かっている」


だけど僕はこの街で走り続ける。







ひたちなか復活おめでとう愛してる!
この復活までの間、ひっそりと車輌を動かしていた事実を知った時ぶわって来た。
今じゃもう愛おしくてしょうがないですこいつ。

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仏桑花を一輪

「・・・・・・やっぱり」
そこは水戸のとある霊廟に不釣合いな一輪の赤い花。
「日立って俺見つけるの上手だよね」
「どう考えたってこの日付じゃここしかないでしょ」
今日は光圀様の誕生日だしね、とつぶやくと正解と日立の胸ポケットに花を刺した。
「・・・・仏桑花(ブッソウゲ)」
「うん、これって7月11日の誕生花なんだってさ」
「へえ」
「日立にはちょっとあれだけど」
「・・・・・・・・・・・この間頼まれたハードディスクの修復9月までに伸びるけどいいよね」
「いやそれは無理です勘弁して神様仏様日立さまぁ!」


(それでも水戸を甘やかすのは自分だ)
ちょっとため息をついて水戸を霊廟から引きずり出すように小走りに歩いた。





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