正月ぐらいはのんびりしたい、と思っていてもうまく行かない事は往々にして発生する。
「まさか今年の正月は東京本社で過ごすことになるとはなあ……」
仕事納めギリギリに発生したトラブルで東京に連れて来られ、気づけば帰省のハイシーズンにぶち当たって帰れなくなってしまったのだ。
無理をすれば帰れなくもないが宿が確保できてるのもあり、無理せず東京で過ごすことになったのである。
「こうして一緒に年越しなんて久しぶりですよね」
嬉しそうにそう言いながらお燗した酒を渡してきたのは八幡である。
今年はお互い仕事の都合で一緒の年越しになると聞いた八幡は宿の人に頼んで燗酒とおでんを出前して貰い、こいつを片手にのんびりしたいと言い出したのである。
ちなみにそばの出前もいつの間にか予約してた。行動が早すぎる。
「まあ、それはそうだよな」
「一緒し年越しそば食べて布団を並べて初夢見て、年が明けたら一緒に初詣なんて物理的に出来ませんからね」
「そもそも高炉があるとそっちの世話で正月がつぶれるしな」
高炉というものは基本的に24時間365日稼働するものであるので、盆暮れであっても稼働させるために人が居なければならない世話のかかる道具である。
なので昼から酒をちびりちびりとやりながらの正月というのは高炉を持たない製鉄所のみが過ごせる年の越し方なのだ。
「昔は世間がのんべんだらりとする日に仕事しなくちゃならないのかと面倒に思ってましたけど、なくなったらなくなったで寂しいんだから不思議ですよねえ」
「そうだよな、仕事の無い正月にも慣れたつもりではいるんだけどな」
ちびりと酒をやってはおでんを食べ、時折煙草に手を伸ばしながらテレビを見て新年を待ちわびる。
そんな正月が少々自分には退屈に感じられてしまうのも事実なのだ。 「
そういえば帰りの新幹線いつですか?」
「なんとか1日の夜のが取れた」
「午前中に一緒に初詣ぐらいは行けそうですね」
「なら久しぶりに川崎大師でも行かないか?大師河原がいた時は何度か行ったろ」
「正月の川崎大師って死ぬほど混みそうですけど……まあたまにはいいですかね」
高炉が亡くなってからやることの無い退屈な季節になった正月も、今年はこいつがいるので少しは退屈しなさそうだ。
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釜石と八幡。今年の書き納めです。