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コーギーとお昼寝

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神様は恋に落ちない:4

その年の暮れ、八幡と東京で会うことになった。
同じ時期にお互い東京へ行く用事があったので久しぶりに顔を突き合わせて酒を飲みたい、という八幡の熱意にこちらが折れたとも言える。
神田の小さな宿屋の部屋に酒の肴を片手に押しかけてきた八幡はとにかく荒れに荒れていて持ってきた一升瓶を一人で飲み干し、まだ酒が足りないと宿屋の女将ににごり酒まで持ってこさせる始末であった。
「……私はね、嫉妬してるんですよ」
「は?」
「最近よくたま菊って娘の話をしてるでしょう?」
「そ、うか?」
八幡からの視線を反射的に避けても八幡のきつい視線は変わらない。
まるで亭主の不貞を疑う妻の詰問だ。別に自分たちは夫婦でも何でもないのだが。
「ただでさえ岩手と福岡で遠いっていうのに特別がどんどん遠ざかる、製鐵合同が成し遂げられれば小倉や神戸まであなたの身内になるんですよ?」
「いやでも、小倉や神戸とはせいぜい神無月の出雲でしか会うたことないぞ?」
「だいたいいきなり民間と一緒になれだなんて無茶ぶりにもほどがありますよ!この先身内になるだろう奴だけじゃなくて、たま菊って子にまで嫉妬する私の健気さを少しは褒めてくださいよ」
「あー、ほうじゃな。とりあえず酒はそのくらいにしとけ」
日本酒の瓶を八幡から奪い取る。
「もう飲むなってことですか」
「ぼちぼち寝る時間じゃろ」
「……分かりましたよ」
不機嫌そうに
自分は深い溜息を吐く。
(しかし、そんなにたま菊の話をしてたか)
少しばかり溜息を吐いて、窓の外に浮かぶ冬の月は静かに部屋のうちを照らしていた。

****

年が明けてから東京に戻り、神社の鳥居で待ち合わせていたたま菊に東京土産の榮太樓飴を手渡せばたま菊は嬉しそうに微笑んだ。
「姐さんらには内緒にな」
「はい」
可憐に微笑むたま菊はまさに芸者らしい顔とも言えた。
薄い月明かりの下であってもその瞳の輝きはきらきらとまばゆいばかりだった。
「凛々千代さまから手土産を頂けて幸せです」
「そうか」
「いただきます、」
こんな風に誰かを愛おしいと思えたのは初めてだった。
もう既にこれが世間が恋と呼ぶものだというは分かっていた。
自分が与えた榮太樓飴をひとつ口に転がすたま菊は美しいおんなであった。

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神様は恋に落ちない:3

それから一月ほど後、東京から役人が来た。
「製鐵合同、ねえ……」
以前から話は来ているが自分がいいとか悪いとか言えるものでもないことは自覚していた。
なんせこの製鐵合同は国策であり、中小企業がそうそう断れるものじゃあない。
そのうち法律を作ってでも一まとめにするつもりだというし、断る気もわかない。
「神さんはお気に召さないですか」
「いや、どうせ国策なら断りようがないと思ってな」
「そうでしたか」
深くため息の一つも吐けば隣にいた所長が切り出す。
「わざわざ東京からありがとうございました、せっかくですし一緒に酒でも飲みに行きませんか」
「そうですね、」
役人の頬が微かに緩むのが見えた。

****

料亭には芸者も呼ばれ、賑やかな宴が催される。
たま菊はこちらを見つけると嬉しそうに笑うので、こちらも軽く頬を緩ませた。
ピンとたま菊が三味線を鳴らせば「では、鬢ほつをひとつ」と告げる。

鬢のほつれは 枕の咎よ
それをお前に疑られ
勤めじゃえ 苦界じゃ
許しゃんせ

少し前に流行った小唄を美しい声と三味線で歌いあげ、こちらに視線を向けてぺこりと頭を下げる。
「ちと用を足してくる」
周囲の人にそう告げたのち、たま菊に軽く視線を向ければこくりと頷く。
春の終わりの心地よい夜風を浴びながら待っていれば、たま菊がやってくる。
「いい声をしとったな」
「ありがとうございます、えっと、」
「好きなように呼んでくれ。」
「……でしたら、凛々千代さま、でどうでしょうか。」
「どうして?」
「今まで出会ってきた人の中で一番凛々しいお方ですから」
凛々千代という音の響きがすとんと腑に落ちた。
今まで付喪神として名前のない存在であった自分が初めて得た名前であった。
「なら、たま菊の前ではわしは凛々千代じゃな」
「では凛々千代さま、先ほどの小唄はどうでしたか?」
「とても、奇麗だった」
そう告げるとたま菊は目を大きく見開いて、大きな笑みを浮かべた。
たま菊の大きな瞳に月明かりが反射して異国の宝石のように輝き、その瞬間に「この娘を手放したくない」と思った。




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神様は恋に落ちない:2

翌日、八幡から近況報告の手紙が届いた。
(あいつはほんと筆まめだな……)
時候の挨拶から始まってつらつらと近況や八幡の街の様子を綴った長い文を読むことは、自分にとって数少ない気晴らしの一つであった。
無論返事も書くが書くことが特段思いつかないのでだいたいははがきに時期のものの絵でも描いて送ることが多い。
棚にしまってある買い置きのはがきを一枚引っ張り出してさて何を書くかと考える。
パッと思いついたのは昨晩出会った娘の姿で、ならあの娘を描いてみようかと筆を執るのだった。

****

はがきを書き終えて、郵便局にはがきを出しに行く途中だった。
ああどうしようという顔で辺りを見渡す少女がいた。
地味な紺の紬にざっくりと簪でまとめた髪といで立ちこそ違うが、昨晩の娘だとすぐに気付いた。
「大丈夫かい?」
「あ……昨晩うちの店にいらしたお人、ですよね」
「そうだよ。それより何か困りごとでも?」
「下駄の鼻緒が切れてしまいまして、これ、借り物なのに」
「なるほど、簡単にでも直しておこうかね」
手元にあった巾着の紐を外すと、その紐で鼻緒を括り直しておけば「ありがとうございます」と告げられる。
「これは応急処置だから後でおかみさんに謝ることになりそうだね」
「いえ、助かります。……あの、後でお礼させてください」
「気にすることじゃあない」
「いや、気にします」
「そうかい。なら、今度会うたら小唄の一つでも聞かせてくれるか?」
「……私なんかで良ければ!」


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神様は恋に落ちない:1

1929年、戦後恐慌真っ盛りの薄暗い時代だった。
戦争の終結によって国内の鉄鋼の需要が落ち着き、製鐵合同の風が吹き始めていた。
4月も終わりの頃になるとこの釜石の町にも桜が芽吹いて春の足音が響き渡るようになる。
ごめんくださいな、と小さく呟いて料亭の中に入る。
製鉄所から一歩外に出れば全く自分は気づかれない存在なのだとこういう時はつくづく痛感する。まあ気づかれたところで何をどう言えばいいのかも悩ましいが。
あの頃、世間様の暗い時代の流れに精神は疲れていた。
ふとした瞬間に自分の作ったものが人を殺めるために使われていることが脳裏をよぎって、憂鬱な気分を酒で押し込めて寝ることもあった。
お国のために鉄を作るという目的意識の強い八幡はきっとそういう事は考えなかっただろうしきっとこの心理は理解されないだろう。
今思えば自分はうつ状態だったと分かるのだが、当時はそんな風に自己分析をする余裕もない。
このうつ状態で、戦後恐慌の嵐が吹き荒れるなかを走りながら製鐵合同の流れに向き合っていかねばならないというのは中々に疲弊することだった。
とにかく少しでも気分を晴らそうと、こうして夜の街の明るさに引き寄せられるようにこっそりと料亭の中に紛れ込んでは芸者の芸を眺めて暇をつぶした。
釜石は当時口減らしで売られてきた東北各地の娘たちが芸者として活躍しており、釜石の夜をにぎわせていた。
「あの、どうかなさいましたか?」
ふいに声を掛けられて驚いたように見てみれば、若い娘がいた。
歳は12,3と言ったところだろうか。黒くつややかな瞳に桃割れの黒髪と桜色の振袖。
まだ雰囲気や言葉遣いにあどけなさが残っているし振袖も丈が直されたものだから新米の芸者なのだろう。
製鉄所の中ならばまだしも外で声をかけられることは初めての事だった。
「……見えるのか」
「え?」
「たま菊、何してんだい?」
「あ、お揺姐さん。あそこのお客様を……」
「お客様なんていないじゃないか、そんな事してないで手伝っておくれよ」
たま菊と呼ばれた娘は困惑気味にこちらを見ながらも軽く会釈をして去っていく。
その背中をぼんやりと眺めながら何かが変わる気配がしていた。


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神様は恋に落ちない:序

深い深い霧が釜石の町全体を包んでいた。
初夏の釜石を象徴するやませと呼ばれる海からの霧だ。
(……肌寒いな)
寝間着に着ていた甚平の上に近くにあった羽織をして寝室から台所に出て、いつものようにお茶の準備をする。
朝茶癖は何時からか染みついていたかまともに覚えてはいないが、これをしないと朝が来た気がしないのも事実だ。
やかんでお湯を沸かし、急須に茶葉を詰めてお湯を注いで、湯呑に移して飲む。
シンプルな動作の積み重ねを間違えずに行う、そうしなければ大量生産は実現されない。
大量生産の象徴のような自分だからこういう事を考えてしまうのか、案外みんな同じようなことを考えているのか。
湯呑になみなみと注がれた熱い緑茶を一口飲めば身体がほんのりと温まる気がした。
残りのお茶は全部水筒に詰めて蓋をする。
幾度も繰り返した朝の手続きをこなしてから部屋を出た。

****

製鉄所の高炉には神様が潜んでいる、というのは製鉄所のある地域でまことしやかに囁かれている噂の一つだ。
実際、事務所の神棚には日本神話の最高神・アマテラスノミコトと製鉄と鍛冶を司るアメノマヒトツノカミ及びカナヤコカミと一緒にその高炉や製鉄所の付喪神も祭られているという。
数人の職員が自分に目礼をしてくるのを返しながら、神棚から煙草の箱を一つ貰っていく。
若い職員が不審そうにこちらを見てくるのでニッと笑ってごまかしておく。後で誰かが説明しておいてくれるだろう。
(ぼちぼち視えだした奴らが不審がる時期じゃし、言うといたほうがいいか)
自分から神様ですと言っても今どきの若者らは信じてはくれまい。
ましてこの新日鉄住金釜石製鉄所を己の神域とする付喪神、それが自分だなどという突飛な事実はなおさら。
喫煙スペースの壁に寄りかかりながらぼんやりと考えごとをしていれば、馴染みの職員がふらりとやってくる。
「どうも」
「おう。あの若いの視えるみたいじゃな」
「みたいですね。さっきの訝しみ具合凄かったですもんね」
「ぼちぼち若いもんに製鉄所の付喪神はほんとにいるぞー言うて驚かせる時期か」
「だと思います。今夜にでも準備しますよ」
「おう、にしても事務方の子で一か月かそこらで視えるようになったんは早い方じゃな」
「そう言う適性がある子なんでしょ、俺みたいに」
付喪神や幽霊や人魂は視える視えないに個人差がある。
そのなかでも視えやすい部類の人間を≪巫女≫と呼ぶようになったのはいつの頃だったか。
この職員もそんな≪巫女≫の一人であった。
「まあ、相変わらず最速は破られんけどな」
呑み終えた煙草を灰皿に押し付けて喫煙スペースの外に出るとまだ海霧のひやりとした冷たさが残っていた。



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釜石さんの過去話。たぶん10話ぐらいの長い話になる予定です。

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