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コーギーとお昼寝

市町村・鉄道・企業・スポーツチーム擬人化よみものサイト、オンラインブクマはご遠慮ください。

ふゆのうみで

「・・・・・寒い」
「そりゃ12月だから」
夜明け前の太平洋に足を浸して、水戸が呟く。
真夜中に『海が見たい』と言い出した水戸のために車を出したのは自分の方で、最初から最後まで自分は水戸に弱いことを自覚している。
昔はここまで弱かった記憶は無いのだけれど。
「手、暖めてよ」
「足じゃなくて?」
「どうやって暖めるのさ?」
言われてみればその通りだ。
ホッカイロを持った右手で水戸の左手を温める。
「一尋って言うんだっけ」
「両手を広げた長さ?」
「うん」
繋がれた手はホッカイロのせいで暑かった。





『相手の手を握ってあたためる』『水日』を描きor書きましょう。 http://shindanmaker.com/62729 #kawaiiCP





実は少し困ったお題でした。
というか水日は手を握るより先にホッカイロの争奪戦になると思う。
つくば下妻ならありそうですけどね、このシチュ。

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0が0のままではいられない

*恋愛お題ったーをやってみた。

*震災がらみです。


廃ビルの屋上で、深呼吸をしてみる。
あの日、3月11日から大幅で多種多様な変更を求められている。
このビルも震災の影響で廃ビルになった。
「いわきさん」
「・・・・・お前、本当に懲りないな」
「懲りないよ」
あの日からこうやって居なくなる自分を見つけては、探しに来て話す。
前はめんどくさいと思っていたことが、不思議と馴染んでいた。
「倒壊の危険性ありって書いてあったろ」
「でも壊れてないから」
犬みたいに律儀なこいつの頭を撫でてやった。
「いわきさんってヨイショ上手だよね」
「違ぇよ」
犬みたいだと思ったからいい子いい子しただけだというと、十分だといわれた。
普段はうるさいぐらいに付きまとって図々しいくせに。
「なんか喰いたいもんあるか」
「蜂蜜入りパンケーキ」
「この間作った奴か」
でもたぶん、これがこいつなり励まし方なのかもしれない。



いわきさんは、「朝の廃ビル」で登場人物が「頭を撫でる」、「蜜」という単語を使ったお話を考えて下さい。 http://shindanmaker.com/28927 #rendai






いわきと北茨城を書くと、脳内ではいわきがおっさんになります。ガテン系。
そしてうちのいわきは大概屋上に居る。震災以前は海辺。

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ついったー、はじめました

「かさまにぃ、ふぉーろーみー!」
「・・・・・・なにがだよ」
12月に入ってすぐの朝、突発的過ぎる一言だった。
「ついったー、はじめたのです!」
「ああ、行政の公式ツイッターな」
「だからフォローミー!」
「・・・・・・でもうちにツイッターアカウントないぞ」








おわれ
桜川が今日付けでついったはじめたのでついったネタ。
ちなみに茨城県内だと県南はついった垢もち多いんですよね、県西だと桜川がたぶんはじめてかな。
結城も早く始めてほしいのですが無理かなぁ・・・・・筑西も公式アカないし(地域のグループのアカはあるんですけどね)

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Happy Birthday to you

世間には「市民の日」と言うものがあり、地域である俺らにとってはその日が誕生日のように扱われる。
さて、本題に移ろう。
(・・・・・・どうやって機嫌をとろう)
ひねくれて怒った隣人(そして名目上恋人)にどうやって機嫌を直してもらうかである。

Happy Birthday to you

きょうは12月1日。
「凄い忘れ方だよね、ツイッター見てやっと思い出すとか」
「だから俺が悪かったって言ってるじゃないですか」
「へぇ・・・・・」
じゃあ明日一日言うこと聞いてね?とすがすがしい笑顔で言い切ることに、当然一抹の不安感を抱く羽目になった。

*         *

翌朝
「・・・・・仕事を休め?」
「そう、一日休んで丸一日この家に居てよ」
それは無理だと思うと目で訴えても効きやしない。
こういう人に惚れた俺が悪い。
「と言うわけで今日一日下妻はうちにいること、一日お嫁さん状態ね」
その言葉に何もいうことができず、来年は忘れないようにしようと心に決めた。











つくば市民の日祝い損ねたのは私だよorz
つくば市公式ついったフォローしてるのにねー・・・・・、あと下妻は個人でフォローしてたら私が禿げる。
あと、桜川がついったはじめた話も書きたいが時間が足りないぜ・・・・・・。

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遠い夢を抱える

もう、何十年も前のこと。
「跡形も無いですね・・・・」
「結城さん、もう何十年も前のことですから」
上野発水戸線経由真岡行き・特急つくばねが走っていた時代があった。

遠い夢を抱える

小山駅短絡線跡
そこは水戸線がわずか数年の間だけ使っていた特別な場所だった。
「東北本線から水戸線、そして真岡線。ほんとうにわずかでしたよね」
「それでも私には誇りでした。何十年も生きていて初めて特急が走ったんですから」
名残の無い地面に触れる。
夜の冷たい風が体温を奪い、凍りそうな指先であの日を思った。

*         *

1968年・結城
「水戸線が電車化・・・・・!」
「ええ、常磐線も電車ですからね。それで真岡への直通は切るつもりです」
「それは喜ばしいことですねぇ・・・・・それでは真岡がどう思うかが見えてしまいますけど」
鉄道省の血を引き継ぎ、黒い衣に身を包んだ国有鉄道はそう告げた。
下館から真岡・茂木を繋ぐ盲腸路線の名前を挙げると、冷笑するように告げる。
「あれだって国有鉄道ですから」
「そうですがねぇ・・・・・」
相変わらず国有鉄道の腹のうちというものは探れなかった。

そもそも水戸線とその沿線にとって東京への直通列車は夢の一つだった。
水戸鉄道は小山の東北本線に接続するために生み出された路線で、東北本線の始発である上野への憧れは間違いなく強かった。
名前を変え、所属を変え、幾年月が経とうともそれは揺るがなかった。
そのことを私が誰よりも良く知っているつもりだ。

「まあ、私としては茨城の誇りであるつくばねの名前をそうすぐには消してほしくないとだけ言っておきましょう」
「・・・・・善処しましょう」
特急つくばねが急行区間の縮小という憂き目に会い、事実上の普通列車化するのは4年後のことだ。

*         *

廃止から40年近い月日が経ち、記憶している人も少なくなってしまった。
「・・・・・・なにかを失うのはいつの時代も寂しいのですね」
「ええ。
私が生み出されたのは水戸市内や下館・友部などの沿線の人々を東京に運ぶため、それを一番効率良く叶えたのがつくばねでしたから。
最初で最後に水戸線を走った特急はこうやって忘れ去られていくんですかね」
二人で静かに微笑んだのはいいが、それはどこか悲しい微笑だった。




あの日抱えていたのは、遠い昔から紡がれる夢のかけら






つくばねフィーバーを抑えられなかった。
水戸線にとって特急つくばねがいがに特別だったかを書きたかったんです。

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