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コーギーとお昼寝

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便りは来ない

目が覚めて一番最初に目に入ったのはいつもつけているお守りと黒い石。
いつも寝るときは枕元に置いているのだから当然と言えば当然のことだろう。
ピンと張りつめた冬の朝の空気に抗ってお守りと黒い石を首に飾る。
おはようさん、と囁くような筑豊訛りが響く。
「……配炭か」
この声は半世紀以上前に死んだ友人の声であった。
そう言えばこの石は彼が死んだときに形見として拾った石炭のかけらであったことを思い出す。
半世紀という月日の中で朧気になっていく友人を忘れるのが恐ろしくてこうしてあの日拾った石炭をネックレスにしたのだ、それすらも忘れてしまうとはつくづく嫌になる。
彼の元にいた選手数名がうちに来たとき、彼の記憶や声の一部がこちらに移されたらしく時折こうして彼の声を聴くことがあった。それも記憶にある限りここ5年ぐらいは聞いた記憶が無かった。
頭の中の掠れた断片的な記憶が再生させているものなのか、それともそれ以外の何かなのか。それすら判別がつかない。
彼のことを忘れるべきじゃない、と小さく自分に言い聞かせて布団から出ていく。
この石の意味すら忘れてしまったら、きっと君のことはどこにも残らなくなってしまうから。



キューデン先輩の話。

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世界の日差しが落ちる頃10

ファインティングブルが去ったのは3月も終わりの日だった。
周囲への挨拶を済ませて、ぶらぶらと三宮を散歩をしていた。
「桜見にまた行けたら良かったなあ」
「そういや昔行ったもんなあ、ライナーズとレッドハリケーンとお前と俺で」
ようやく梅が見ごろになった神戸に桜の気配は遠く、もう見ることが出来ないのだと思うという事は分かっていた。
街は夕焼けのオレンジから夜のとばりへと移り変わって行く。
さっと背筋を冷たい気配がした。
「死神が来よったみたいです」
ぽつりとファインティングブルが告げた。
俺には見えない何かが見えているのだろうか。
「……こっち来ないでくださいね」
その言葉の意味は分かっていた。
日暮れにファインティングブルの身体は溶けるように消えてく。
「ああ、」
太陽が沈むように、彼はどこかへ去ったのだ。

****

『……ほんと、この世はままならん事ばかりやわ』
電話越しにライナーズが呟いた。
見慣れたグラウンドの芝生の上にはいつものように秋晴れが続いている。
『親の都合で生まれ、他所へ移され、切り捨てられる。これ以上に寂しい事はあらへん』
「ほんとにな」
『でも僕らは親のおかげで生きられるんやから皮肉なもんやね、独立採算なんてしたら速攻赤字で死んでまう』
この国においてラグビーは現在のところ人気種目とは言えないのが現状だ。
トップリーグの観客動員は1万人を超えることは皆無で、平均動員ではJリーグに負けている。
ラグビー専用スタジアムも老朽化の著しい秩父宮と現在改修中の花園ぐらいしかなく、いま建設中の釜石のスタジアムは聞いた話だとラグビー専用にはならないらしい。
ワールドカップに向けての機運醸成についても上手くいっているとは正直あまり感じられない。
「独立採算で、自分の手で必死に生きようとして、それでもダメだったら諦めつくんかな」
『……どうなんやろうな』





自分の生き死にをかけた努力すらさせてもらえずに死ぬことの非業さを知っている。

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世界の日差しが落ちる頃9

雨に濡れたファインティングブルをうちに連れて帰り、風呂に突っ込んでから温かな紅茶を淹れた。
紅茶はいつも姐さんに淹れさせられているからもう慣れている。
「砂糖要るか?」
「子供じゃあるまいし、平気です」
「そか」
無糖のセイロンティーをマグカップになみなみと出してやればそれに口をつけていく。
ついでにお茶菓子も出してやってファインティングブルが口を開くのを待った。
そのセイロンティーが空になった頃、ゆっくりと口を開いた。
「親を、殺したいと思った事はありますか」
しんと静まり返った目がこちらに刺さってくる。
きっと今はどんな綺麗事も聞きたくない事は考えなくても分かった。
俺がそうであったように、今ここに綺麗ごとは要らない。
「……無いというたら嘘になるやろうな」
親の都合で生まれて親の都合で死ぬ。
その宿命から逃れることはずっと無理なのだろう。
企業にとってスポーツ事業は金食い虫で、独立したってそこにあるのは貧乏だけだ。
神戸を離れて九州で生きる彼女や、育ての親によって生まれた時からの色を奪われた彼や、三陸で貧乏暮らししながらもラグビーを続けるあいつのように。
「俺は、愛されてなかったんですか」
「わからん」
それは分からなかった。
姐さんが兄弟を愛していなかったのか、その答えは今も俺は分からない。
「でも、少なくとも俺はお前を愛しとるよ」

親愛なる神戸ダービー。俺の可愛い後輩。
いったい俺がお前を愛さない理由なんてどこにあるというのだろう。

「愛してるならどうしてこんな残酷なことが出来るんですか」
それはこっちが聞きたい。

****

しばらくファインティングブルはうちに滞在し、ボールを磨いたり走り込みをしながら過ごしていた。
それから数日して、福岡から客人がひとり来た。
「おう、久しぶりやなあ」
「……ご無沙汰しとっとです」
福岡サニックスブルースと名を変えた福岡からの客人は名物の辛子明太子片手にうちへ来た。
「話ばさせてくれんとですか」
「おう、ええで」
リビングで顔を合わせた二人は穏やかに笑いあい、和やかに過ごしていた。
それを遠くから見守りながら、俺はただこの世の残酷さを、呪った。


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世界の日差しが落ちる頃8

2009年3月13日。
ざあざあと降る雨で練習は中止になり、親愛なる親会社様と紅茶を飲みながら過ごしていた。
「携帯鳴ってるわよ」
「ああ、ほんとや」
発信相手はライナーズだ。
どうせロクでもない悪ふざけだろうと思いながら電話を繋いだ。
『もしもし、お前確認したか?』
ひどく切迫した声で聴いてくるので「……いきなりどないしてん」と問う。
『いや、知らんならええ』
そう言ってブチッと電話が切れた。
その様子を見ていた姐さんがそう言えばという風に切り出した。
「昔、似たような電話貰ったことがあったわね」
「は?」
「釜石のところで廃部の噂が出た時聞かれたのよ。『あいつは大丈夫ですか』って。ちゃんと私に問題が起きない限りはスティーラーズは大丈夫って答えたわ。
でも、聞きたいのはそうじゃなかった。あなたの精神を心配してたの。

……きっと何かあったんだわ」

もう一度、電話が鳴った。
電話の主はワールドファインティングブル。
「はい」
『俺です。あの、今から会えますか』
そう告げられた時、ぞっと冷たいものが首筋に伝う感触がした。
(死神に連れて行かれるのは、お前か)
兄弟がいなくなった時、シーウェイブスを失うかもしれないと告げられた時と同じ、感触だ。
「……お前も逝ってまうんか」
その言葉への返答はない。
ああ、やはりそうなのだ。
こいつもまた死神の手に連れ去られてしまうのだ。
「今そっち行くわ」

****

田んぼのような状態のグラウンドに、ずぶ濡れになった彼がいた。
その手を引っ掴んでやると凍ったように冷たくなっていた。
「なんで、お前まで」
「……僕はワールドと言う会社を盛り上げるための存在で、プロになっちゃいけないんです」
それは企業に属する存在である以上逃げようもない運命だった。
プロではない自分たちにはラグビーだけで生きていくことは許されないのだ。
「嫌やなあ」
彼はその生まれを、静かに呪うほかない。
自分を生んだ親を恨まなければならない以上の地獄がいったいどこにあるというだろう。


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世界の日差しが落ちる頃7

2007年1月13日。
前日から晴れ渡った神戸の空の下で、彼はぽつんとその芝の上に立ち尽くしていた。
この敗北で決定した未来に魂が抜けたような顔で立ち尽くす神戸の後輩にかけるべき言葉が見つからなかった。
「……彼、あなたのところの後輩でしょう?」
ジュビロが俺にそう声をかけてくるが、俺にはいかんともしがたい。
「俺が何言うたかて今は聞こえんやろ……せめて俺はあいつの前でカッコよく勝ってやることしか出来んわ」
降格の決まった後輩に、励ましのトライを見せてやることだけが今の俺の脳裏にあるたった一つのことだった。

****

それからしばらくして、3月も終わりの頃にふらりとファインティングブルが訪ねてきた。
片手には桜餅とお茶を携えていた。
「花見行きませんか」
「どこまで?」
「別にどこでも、月ヶ瀬まで行っても良いですけど」
「……わざわざ奈良まで行くのもアレやし夙川の河川敷でええか」
「構いませんよ」
その流れのまま阪神電車で夙川の河川敷へ向かうことにした。
あの川の辺りは桜の綺麗なところで、うちの姐さんと親交のある女友達らと何度か遊びに行っていたことを思い出す。
川沿いの桜の道の途中に腰を下ろせば小春日和の川風と太陽が静かに降り注いでいた。
「煙草ええか?」
「どうぞ」
煙草に火を灯し、ほんのりと苦い煙を飲み干した。
「で、桜の木の下まで呼び出してのご用件は?」
「特に大したことやないですよ。ただ、桜を見とぉなっただけです」
「そうかい」
さすがにあの最終戦から二か月半も過ぎたおかげか少しは冷静になったらしい。
この後輩のことだ、再来年の今頃にはライナーズと三人で祝い酒でも飲むことになるに違いない。
「……来年は桜の下で祝い酒飲みましょう」
「そん時はお前が酒用意せえよ」
冗談交じりにそんな約束を交わしたのだけれど、その約束はふいに吹いた桜吹雪に流されていった。

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