1995年、春、奈良は月ヶ瀬湖畔。
桜の咲きほころぶ道を抜けると、湖の傍に既に数人が揃っていた。
「遅かったやないか、灘浜の」
まだあの頃は親会社と自分の区別のためホームグラウンドの地名を愛称として呼び合っていた。
それぞれに正式な愛称がついてからはもうほとんど使わなくなってしまった呼び方である(八幡製鉄所のところのを鞘ヶ谷と呼んだりするのはあの名残だ)
「うっさい松原(近鉄)、と言うかこの赤い子供は?」
「電電公ー……いや、今はNTTか、そこのラグビー部。創部一年目で府の社会人大会優勝して面白そうやから連れてきたわ。南港のも挨拶しとき」
「はじめまして!NTTドコモ関西ラグビー部です!」
「おう、よろしく。俺も南港呼びでええか」
「はい!」
まだ少年の姿をした溌溂とした少年の横で、さっそく飯を食い始めていた青い瞳の美青年がいた。
「……なんでおんねん、ワールド」
「こういう時は東灘でいいですよ、俺も灘浜って呼びますから」
「ならそうするわ、と言うか仕事はええんか」
「大先輩による気晴らしの一席ぐらいなら誰も怒りません」
そうなのだ、これは松原による気晴らしの花見であった。
こんなじめじめと薄暗い気持ちじゃあやってられないという松原の思い付きで呼び出されたのだ。
「にして羨ましいわぁ、太田の野武士軍団に懐かれとると思ったら東灘にまで憧れられとって~」
「なっ!それは言わんでおく約束やったやないですか!」
「なんかさっきめっちゃ言うてましたもんね」
「南港もそう思うやろ?」
「はい」
やはりそうだったのか。
「……知っとったわ」
「は?!」
「天邪鬼やけど可愛い神戸の後輩が俺に憧れとるなんて重々承知やったけどな」
太田の後輩に比べればわかりにくかったが憧れられているのだという事は薄々分かっていた。
憧れのように思われるのは良い事だ、その期待を超えてこそ強者になれるのだから。
「なんか俺があんたに対して自意識過剰やったみたいやないですか!」
「カッコつけの標準語が抜けたな」
「違います!」
「関西人しかおらんのやし、あの府中コンビみたいな標準語使わんでええんやで」
「だからそういう話じゃなくて……っ!」
「まあでも、いま一番憧れられる存在になるんはしゃあないやろ。松倉(新日鉄釜石)の記録を塗りかえ得る唯一の存在やしな」
「素直になりゃーええのに、ねえ?」
「南港のは素直に言うてくれるんになあ」
まだ無垢さの残る二人の子どもをからかい半分に愛でるのは、悪い気はしない。
すくすくと伸びる若木のごとき神戸の後輩が、どこまで来れるのかを俺も松原も間違いなく楽しみにはしていたのだ。
「……ダービーマッチが楽しみやなあ」
松原が薄く笑みをこぼしながらつぶやいた。
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