1月17日は神戸のみならず関西全域に強烈な意味を持つ日である。
淡路島北部を震源とする兵庫県南部地震、俗に阪神・淡路大震災と呼ばれる戦後最悪の災害の発生日である。
神戸じゅうを灰燼に帰したこの震災がいかにすさまじいものであったかについては省くが、当然練習どころではない。
液状化でボコボコになったグラウンドの修復までの間はまた別の事をしなければならなかった。
「……ああ、しんどいわ」
「加古川さん無理せんといてください」
ボロボロになって動けなくなった神戸製鉄所の復旧とフォローである。
彼女は走り続けた。
瓦礫と化した神戸を、壊れた施設を、神戸製鉄所を取り戻すために。
そして、失ったのは彼女だけではなかった。
「あかんなあラグビー、体中が痛くてかなわん」
「長男坊が無理せんでもええんやで?」
ぽつりとそんな台詞を吐いたのは神戸製鋼排球団であった。
自分たち兄弟のなかでは一番年長であったが、地震で寮や体育館どころかユニフォームまでも失ったため既に協会に途中棄権を申し出ていた。
「でもまだリーグ戦が残っとる……倉敷(旭化成スパーキッズ)も清須(豊田合成トレフェルサ)も、コートの向こうで俺を待っとる……」
「リーグ戦のことは養生してから考えた方がええ」
「嫌や、死神がそこまで来とるのに」
まだ、その時は言葉の意味がわからなかった。
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冬も終わりに近づく3月上旬のことであった。
「排球団は廃部が決まったそうです」
ぽつりと加古川さんがそう告げたとき、ぞっとするほど冷たいものが首筋を這う感触がした。
兄弟全員が呼ばれた時からそうかも知れないという気はしていたが、あまりにもそれは寂しい言葉だった。
「震災さえなければ生かしてあげられたのに」
本当にそうなのだろうか?
問いただそうとする言葉は引っかかって口から出てない。
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