*直江津が住金に来た直後ぐらいのお話
直江津はうちに統合される前から感情や欲求が希薄で、いつも淡々とした印象がある。
何が好きとかこうしたいって言う発言がほぼゼロみたいなタイプだったのでちょっと特殊なタイプでもある。
なので時々直江津が楽しそうにしてるのを見ると俺もその対象に目を向けて見たりする。
すると自分の作った製品が使われているのを日がな一日眺めたり、チタンに処理をして美しい色を作ることに妙な情熱を燃やしていたり。
要するに仕事が好きなのだなあという感想しか抱けなかったりするのである。
「直江津って仕事が好きなんだねえ」
「……好き?」
そう言って理解しがたいと言いたげに俺を見る。
「俺にはそういう風に見えるって話」
「そもそも仕事に対して感情が付随してたのか」
「え、まさか俺たちには感情ないと思ってたの?」
「だって必要ないだろう」
直江津がしれっとそう答えたので、俺たちの間には随分齟齬があったことに気づく。
というか俺や八幡さんとかにも感情がなかったらもっとコミュニケーションは円滑だったと思うんだけどな~~~~~~~!!!!!!!(俺の心の叫び)
でも確かに製鉄所の神様として祀られてる俺たちには本来感情は不要だ、というのは分かる。
神様なら神様らしく黙って人間の営みを見守ってあげればいいのに、感情や欲求を持って周囲の職員や関係者と日々わいわいやっている訳だ。
「少なくとも俺や此花にはあるはずだよ、感情」
「そうだったのか」
意外そうに直江津が呟いた。
「そうじゃなきゃ俺は海南を愛したりしないもの」
俺のその言葉に直江津はそれもそうかという風に頷く。
好きとか愛するとかが不必要だとするなら、製鉄所を動かすのに必要な物って何だろう?
脳裏に浮かんだ疑問に対してある冷たい答えが出る。
「そもそも俺たち自身が不要な物なのかもしれないね」
製鉄所を生み出したのは人間だ。
その人間たちは分担して健全に操業・管理ができるはずで、俺たちが手助けせずとも円滑に機械を動かしてその役割を全うできるはずなのだ。
「不要なのに在るのか」
「根本的にはね。でも俺たちがいることで職員は余裕を持てるでしょ」
「……不必要と余裕は紙一重か。その余裕のために感情があり、感情があるために好きや愛があるのか」
「たぶんね」
「俺には感情という余裕がないのか」
「余裕は余裕だよ、無いことが悪なわけじゃない」
直江津は感情や欲求が希薄で、いつも淡々とした印象がある。
けれどそれもまた直江津という個を構成する一部なのだ。
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和歌山と直江津。