街も随分冷え込むようになってくるのを感じるたびに、もう冬だなと思い知らされる。
相変わらず厳しいこの街の冬を何度過ごしてきたかなんて数えたくもない。
されどここに生まれこの町の誇りとして生きてきた以上はこの冬の寒さに文句など付けることもできない。
それに、この12月1日という日は多くの人々が自分の誕生を祝う記念日なのだ。
紙袋に詰め込んだ祝いの品をぶら下げながら一人暮らす家の扉を開ける。
「おかえりなさい釜石!」
自分の冷えた体に遠慮もなく飛び掛かってきたのは割烹着に身を包んだ八幡だった。
マスク越しに八幡の熱い頬が触れ、抱きしめる腕の力もすんすんという匂いをかぐ音もこれが現実だと伝えてくる。
その一つ一つが妙に懐かしくてぽんぽんとその背中をたたくと、強く抱きしめ返される。
このところは流行り病で長距離移動を制限され、こうして対面で逢うのはずいぶんと久しぶりだ。
「お前仕事とかええんか?」
「ちゃんと終わらせてから来てますよ。ちゃんとマスクや消毒液も持ってきてますし……あ、手指消毒」
「手洗いうがいで良かろ」
「ならお風呂沸かしてありますから!お先にどうぞ」
そう言うと名残惜しそうに八幡が腕を放して荷物も運んでおいてくれるというので、遠慮なく一番風呂を浴びに行く。
自宅の古い風呂の扉を開ければふわりと温泉の香りがして、どこかの温泉場の湯の花でも入れておいてくれたのが分かる。
綺麗に体を洗い流して湯の華薫り立つ熱い湯に身を浸す。
じんわりと指先まで温かさと祝福が染みわたり、温泉の香りを体いっぱいに吸い込む。
(……それにしても今日は嫁でも貰った気分だな)
100歳もとうに過ぎ八幡の供給過多な愛情の受け取りには慣れているつもりだったが、こういう方向から来られるのは初めてでこそばゆい。
「着替え置いときますね」
扉越しに八幡がそう告げてくるので「おう」と答えると「夕飯も出来てますから」と答えてくる。
「今日のお前さんは嫁さんみたいだな、男なのが惜しいくらいだ」
「釜石にしかしませんけどね」
「確かにわし以外にこんなことするお前さんが想像つかん」
自分の事がずっと好きな男だという事はこの半世紀でよく分かった。
その愛を信じていると言えば聞こえはいいが、本当はただの甘えなのかもしれない。
「……今日は南部鱈のたらちりですよ。
それに色々プレゼントも預かってきてるので楽しみにしてくださいね」
今日はお湯だけでなく愛情で指先までよく温まれそうだ。
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八幡釜石。最初は足し算のつもりがカプっぽくなったのでカプ扱いです。