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コーギーとお昼寝

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僕たちに余地は無い

戦争が終わった。
人々を苦しめた戦争が終わったとき、少しだけ安心してしまった。
『もうこれで自由だ』と。
だけれど彼らには嫌気が差している。
「また事故?」
勝田の呟きは正論だった。
「そうみたいだね、死人も出てる。」
「冷静なんだな、那珂湊は。」
昭和46年・まだこの国は戦後の混乱にあった。

僕たちに余地は無い

サンフランシスコ平和条約で日本は正式に独立したとはいえ、米軍管轄下である事は少しも変わっていない。
僕にとってこの状況はちっとも喜ばしいものではなかった。
いい加減静かに暮らしたいと言うのが本音だった、1LDKに二人で暮らしてるのは単純に金欠なだけでそこに深い意味は無い。
そんな状況で生きる中、水戸から意外な連絡が来た。
『勝田、那珂湊・・・・・射爆場の返還が決まった。』
「あのさ水戸、きょうは四月馬鹿じゃないよ?」
『んな中途半端なボケするか』
そして、正式な通知として連絡を貰ったのは次の日だった。

*            *

「御二人に話があります」
射爆場返還の後、僕たちを水戸まで呼び出したのは東京だった。
「・・・・・・寝覚めがわりぃからさっさと話せ」
「勝田」
東京が手渡したのは《水戸対地射爆撃場返還国有地の処理の大綱について》と言う答申で、簡潔に話がなされた。

「簡単に言いますとあの射爆場を開発して国有公園にすると言う事です。国有公園にすることで波及効果を受けるのはあなた方と東海の3人ですから、3人で話し合ってくれと言いに来たんです。」

「んな、投げやりすぎじゃね?」
「仕事が溜まってるんですよ」
ため息をついたのは3人同時だった。
「でも、東海は既に原子力発電で恩恵受けてません?」
日本で原子力発電が始まったのは昭和41年で、今が昭和51年。
もう10年近く続いていた。
「その通りです。東海はともかくあなた方二人が一番大きいんですし、最終的には合併した方が早いんじゃないんですかって言いに来たんです。」
「・・・・・・分かりました、考えておきます。」

*             *

時はだいぶ過ぎて平成6年。
「那珂湊、話があるんだ。」
妙に深刻な顔して言うものだから何なのかと思えば
「合併しないか」
「・・・・・・今日は四月馬鹿じゃないけど」
「分かってるけどさ」
既に合併案は出ていて、こちらも特に何も思わなかった。
「そんな深刻な顔する必要無いじゃん。」
「え、だってさぁ、那珂湊美人だしこういうの慣れてねーんだよ!」
「んなもの誰だって慣れてない。」
「那珂湊の事好きだからなおさら緊張すんの!」
おい、今なんていった?
とりあえずさっきの発言は後回しにして、合併には承諾した。






「んで、ひたちなかが生まれた」
ここは日立の家。
「・・・・・預かってろと。」
「そういう事、頼むね。」
日立に伝えるべき事を言って僕たちは残り僅かな時を慈しみに旅立った。
もう余地は無いはずだけれども。

                    おわり





ひたちなかが産まれるまでの物語。
細かいところは飛ばしてるので時間軸については何も言わないで下さい。
何と言うか那珂湊と勝田の中央への振り回されぶりって一体・・・・・・・・。

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