相変わらず人気の多い池袋駅の中で、ふいに声がかけられる。
「東上さん」
「・・・・・・龍ヶ崎」
「ご健勝で何よりです、『お姉さん』は元気ですか?」
「あ、いやー・・・・その」
ああそうだ、龍ヶ崎の中ではまだあの人は『姉』なんだ。
ふいに傍らから疑問の声が上がる。
「お姉さんなんていたっけ?」
「有楽町には関係ない」
「東上さん、良ければお茶でも飲みませんか?」
「はい」
思い出話をしに姉さんはいつもお金が無くて大変そうだった。
女の顔をした男のあたしと、男の顔をした女の姉さん。
血のつながりは無いのに姉さんとあたしは良く似ていたから、あたしは彼女を姉さんと呼んだ。
いつだって二人でひとつだったあたしたちは別の鉄道会社へ吸収された。
あたしは東武へ、姉さんは堤さんという支援者とともに会社の再建へ。
『東武は姉さんを許す気あるの?』
『・・・・・一応はね、決めるのは根津さんだよ』
その言葉には一種の不信感もあったが、結局東武は姉さんを許した。
経営再建の道筋を立て、グループ企業を買収していくうちに姉さんは堤さんに気持ちが傾いていった。
服装が男物に変わり、言葉遣い、性格・・・・・少しづつ代わっていった。
姉さんが西武を名乗ったときにはあたしの知る姉さんはいなかった。
* *
簡単なあらましの説明をすると、はあと感嘆のため息をついた龍ヶ崎が言う。
「・・・・・・・姉さんって西武池袋線だったんですか」
「まさか国鉄武蔵野だと思ってたとか言わないわよね」
「いえ、てっきりそうだと。彼女も武蔵野鉄道ですし」
「昔から思ってたけど龍ヶ崎って意外にあほよね」
「わるかったですね・・・・・・・だとしても、さびしくは無いんですか」
「淋しいけど、たまにあのころの姉さんが見えるからあたしはそれで十分」
「・・・・・・・覚えてますかね、ぼくのことを」
「あたしは一応覚えてたから覚えてるわよ」
まだ小さかったころ、あたしと姉さんは龍ヶ崎に遊んでもらっていた。
東京で東武関係の付き合いや仕事の合間に池袋で遊んでもらってはさまざまな話を聞いていた。
もう遠い記憶ではあるけれども。
東上と西武池袋が姉妹設定だしたくて・・・・。
ぜんぜん史実的には絡みないので東武つながりで絡めました、なんて無理やり。