1905年(明治38)年9月。
まだ神戸の地は残暑厳しく、私はただ消耗したくなくて薄暗い物置の中にいた。
クーラーのない時代だから事務室なんかよりも日陰のひんやりとした物置のほうが気温が低くて居心地がよかった。
あの頃、私は東京で書籍商をしていた生みの父のもとで必死に消耗させられていた。
しかしまだ高炉技術の確立されていない時代に民間での高炉経営は厳しく、いつ潰れるか分からない状況下で自分が死が紙一重の場所にいる事を痛感していた。
かつん、かつん、と規則正しい足音がする。
(これは死神の足音かしら)
あまりにも短い命だったな、と思いながら目を閉じる。
「きみが小林製鋼所か?」
誰かの声がした。
その人は私の手を掴むとグイッと引っ張って、私に立ち上がる気力もないことに気付くと私を横抱きにしてきた。
襟元からは微かに甘い砂糖が焦げたような匂いがした。
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文明開化華やかりし時代、神戸の街には多くの新興商店が立ち並んでいたけれどその中で特に異彩を放ったのが鈴木商店であった。
明治7年(1874年)に神戸の洋糖商として出発した鈴木商店は、一代で神戸で指折りの承認に上り詰めたものの創業からわずか20年で当主・鈴木岩次郎を失ってしまう。
当主を失った妻・鈴木よねは商才ある番頭に店の全権を託すことになるが、その託した相手がのちに財界のナポレオンと異名を取った金子直吉であった。
金子直吉は失敗を繰り返しながらも鈴木よねの信頼を受けて樟脳や砂糖で莫大な利益を出し、鈴木商店を一代で大規模な企業に育て上げていた。
1903年(明治36年)、鈴木商店はとある事業に投資する。それは神戸に作られる小林製鋼所であった。
その2年後、彼はこの小林製鋼所を買い取ることになる。
「おや、直吉戻ってきたのかい」
「はい」
すっと背の伸びた女性が私を見る。
その時初めて私は鈴木商店に買収されたのだと気づいた。
横抱きにされたまま私は布団に寝かされて、「夜になったら起こすからそれまでしばらく寝ていなさい」と穏やかに告げられる。
「いいんですか」
「なにが?」
「私は、捨てられたのに」
私がここに連れてこられたという事は生みの父は私を見限ったという事である。
生みの親に捨てられた子供を連れてくるなんてこの人は利益にならない事業を買ったことになる。
襤褸買いの趣味がある訳でもないのにその理由が私には分からなかった。
「……きみはすこし休みなさい」
落ち着いた声色でそう告げられ、私は黙って目を閉じた。
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