1911年(明治44年)は私にとって節目の年だった。
海軍からの受注を得て経営を一気に安定させ、独立した企業としての道を歩み始めた年だった。
「お嬢さん、よくお似合いです」
「ありがとう。これ、金子のおじさまが私に下さったのよ」
真紅の地色に鶴をあしらった鮮やかな振り袖は、正に縁起の良い晴れ着そのものであった。
周囲の人々の顔を見渡して、不意に思い出す。
「金子のおじさまや田宮と出会った時は、私こんな風になれるなんて思ってもみなかった」
あの頃の私は背後に感じる死の気配を恐れていた。
幼い少女のまま私は死ぬのだろうという恐れを彼らは拭い去り、今では成人した女性の姿となった。
「……お嬢さんも大きくなられましたからね」
「田宮、」
「はい?」
「私を生かしてくれて、ありがとう」
その後神戸製鋼は鈴木商店直下の鍛造鋼メーカーとして著しい発展を遂げ、鈴木商店はその後恐ろしい程の暴走を起こして身を滅ぼすこととなる。
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「……なんだか、本当に色々ありましたわね。おじさま」
金子直吉という人は花火のような繁栄と転がる石のごとき衰退を駆け抜けていった人だった。
おじさまもお家さんも田宮も依岡も三途の川の彼岸に渡って久しいが、忘れたことは一度だってない。
「あなたが拾った種は、この神戸の街に美しい大輪の花となりましたよ」
たくさんの人々に生き永らえさせてもらったこの神戸製鋼所は、今や神戸を代表する企業となった。
そして、鈴木商店を祖とする沢山の企業は今も日本各地にひっそりと根付いている。
おわり。
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17.6.17ちょっと書き足し