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コーギーとお昼寝

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鹿島臨海鉄道、遠き日の夢。1

もう忘れてもおかしくない様な思い出話だ。
・・・・・・いや、僕は僕の生まれた日を捨てることが出来ない。
僕の血肉となった改正鉄道敷設法、僕は彼女によって生み出された。

鹿島臨海鉄道、遠き日の夢

「改正鉄道敷設法別表32号」
それが僕に与えられた呼び名だった。
僕も認識しきれないほどに僕の兄弟は多く、全国に散らばっていた。
この雑多にいる兄弟のなかで僕が唯一仲良くしていたのは39-2だけだった。
名も無い僕らは号数で呼び合い、生きていた。戦争のさなかであっても僕らは生き延びろと言われ続けた。
否、生き延びさせられた。
人間ではなかったから普通に呼吸さえしていれば生きていることが出来た。名前のないまま、僕は100年ほど生きていた。

*          *

「32号、やっとお前に新しい名前がつけられることになった。」
国鉄さんの兄弟である鉄道公団さんに一言、名前を与えられた。
「はい」
「お前の弟に因んできた鹿島線という名前にした、おそろいの名前だ。」どうだ?と僕に問う。
「悪い名前ではないと思います。」
「私もそう思う、国鉄にしてはベターだ」
そして僕は北鹿島線として踏み出した。





補足事項・改正鉄道敷設法(大正11年法)鹿島線や日立電鉄の生みの親。(明治25年法はお母さん)現在の地方路線の産みの親だと思えば良いんじゃないかな←
・鉄道公団さん国鉄さんの弟でJRさんの叔父。鹿島弟の育てのお父さんみたいな人。何だかんだ言いながらもつい最近まで元気に生きていた。
やっと鹿島臨海兄弟のお話です。「遠き日の夢」は弟目線で進むので兄の方の生い立ちは別で書きます。(というか兄の方の資料が出てこない)。

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