久しぶりに広島に行く機会があって、ふらりと呉に立ち寄ることにした。
かつて製鉄所のあった海辺は空っぽの大きな空き地になり、その脇には立て看板が立っている。
立て看板やポスターによるとこの空き地に複合防衛拠点設置の話が出ているのだと書かれ、それは平和のまち広島に相応しくないとチラシは語り掛ける。
「日新製鋼の?」
そう声をかけたのはこの世を去った弟分によく似た顔の、けれど弟分よりもいくらか年かさの海の匂いがする人だった。
「ジャパンマリンユナイテッドさん?」
「おひさしぶりです」
「こちらこそ」
顔は何度か合わせたことはあれど、決して親しい仲でもなく何を語ればいいのか分からない。
いかんせんあの可愛い末っ子に似すぎていて、まるであったかもしれない未来の姿のようにも見えるのだ。
「製鉄所がなくなってずいぶんこの街の海は暗くなりましたよ」
それははっきりと想像できる。
高炉のある街の海は高炉の火に照らされていつも明るい事はよく知っている。
鉄屋の端くれとして神戸や尼崎の高炉から立ち上る明かりに憧れ、大きな企業になったらあんな風に夜の海を照らす高炉を自前で持てるのだろうかと問いかけたものだった。
けれどその高炉の火はもう消えて跡形もない。
「……たまに思うんですけどね、」
「はい」
「工場ってのは大きな話題にならない時がきっと幸せなんだと思うんですよ。
事故や縮小や閉鎖の話なんか出ないでただただ物を作って世の中の一部になってるときが、いちばんね」
その言葉には人生経験に基づいたじっとりとした湿度と重みが籠っていて、どこか僕を責めるような趣すらあった。
「ずっと、幸せな時間を続けてあげられたらよかったのにな」
夏の始まりの瀬戸内はじりじりと焦げ付くような日差しが降り注ぐ。
何を間違えたのか、何がしてあげられたのか。その問いに答えは出てこない。
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次屋とジャパンマリン呉。
以下ジャパマリ呉さんの裏設定(要反転)
ジャパマリ呉さんは元呉海軍工廠と同一人物で、実はこべネキの過去編にもちょこっと出てる。呉さんと顔がよく似ているのは海軍工廠の一部をそのまま転用して生まれた影響。ジャパマリ呉の感覚的には自分の半身持ってかれて生まれたちいさきいのちだけど、呉さんはあんまりその認識がない(知識とかぼんやりした前世の記憶としては理解してた)のであんまりピンと来てない。 現状この辺掘り下げる予定はないのであくまで裏設定です