「なっみきみーちの、やわ、らかい風はあなーたのーてのーひらーみーたーいーにー」
歌を口ずさみながら眠気を誘う春風を浴びる。
桜の木がちらちらと木漏れ日を顔に当てて心地よかった。
昼食を食べたばかりだからなおさら眠い。 隣に座る日光のひざを借りて、固いベンチの上で寝転がる。
たとえ男の膝でも木の上に直接寝るよりは遥かに柔らかい。寝違えて首痛めたりもないし。
「おいそこの馬鹿兄弟」
「東上、なにかあった?」
「弁当2つ食ったな?」
「ああごめん、あれいっつもより多目だから一個多めに東上が作ったんだと思って食べちったわ」
「あれはメトロ用だっつーの!いつも弁当箱の色で判断しろって言ってるでしょうよ!」
「・・・・・お前、ほんとにメトロ好きだぃね。感服するわ」
東上はメトロが結構好きだ。 正直誰が一番好きなんだと聞きたくもなるが、まあ東上がうちの稼ぎ頭であることも事実なので怒らせるのも怖いから聞かないことにしている。
「いまだに筑波が好きなあんたに言われたくない・・・・・まあいいや、帰る」
ぐさりと突き刺さる一人の名前。うん、まあ東上もオレと年変わんないから知ってて当たり前とはいえ何かあると必ず筑波の名前を出すんだから本当に嫌だ。
「・・・・寝るから動くなよ」
「うん」
嫌なことがあったら寝るに限る、寝てしまおう。
君に届け!『・・・・・という訳でして免許購入をご検討いただけませんか』
小さく開いた扉の向こうに見えたのは2人の男と、自分より少し年下の女性の姿だった。長く艶やかな黒髪と、いつ消えてもおかしく無いような儚さのある綺麗な人。
(筑波だ)
そうか、これは夢だ。彼女と初めて会った日の。
『伊勢崎、そこにいるのか』
『・・・・はい』
『客人にお茶を汲んできなさい』
『根津さん、私にまでお気遣い無く』
でもこれは夢だから、この後の事なんて良く覚えてる。確かそれは夏のことだ。
『京成さんのところに合併されるの』
『・・・・は』
『うちの上司が根津さんに苛々してたらしくて。断りたいのか引き受けたいのか分からないって』
あの日、彼女は朝顔柄のちりめんの浴衣を着ていた。
それだけは酷くはっきりと覚えていて、紫は彼女に良く似合っていた。
隣にいたまだ幼い日光の呟き声を彼女は聞かんふりして、ごめんといって去っていった。
―うらぎりもの―
* *
「・・・・・・・やな夢見た」
桜からの木漏れ日、日光の横顔、それがいま見ている景色のすべてだった。
「何の夢?」
「昔の、お前が小さかった頃の夢」
「兄さんもいい加減忘れてしまえば良いのに、あんな奴」
「やだ」
彼女が生きていた時の事を忘れたときに本当に彼女が死ぬ。
たとえそれがどれだけ辛くとも、彼女が生きていた日々を忘れることはしたくなかった。
この愛が届くことは無くても、どうか君に届け。
おわり
実は京成と同じ穴の狢だったりする東武さんのお話。日光は子供のときからずっと筑波を裏切り者だと思ってます、だって東武と合併するものだと思ってたから。そんな日光と筑波のすれ違い。