日立鉱山、いや久原鉱業は日立村(現日立市)莫大な土地を持っていた。
それは鉱毒対策の一環であったが、その莫大な土地を利用して男は発電所や寮を作った。
これらの使い道のうちの一つに「工作課」があった。
優秀なエンジニアが集うその場所に馴染みだし、いつしかもう一つの名前が生まれた。
「日立製作所」
久原鉱業工作課が半分独立するような形で生まれた場所だった。
日立鉱山、いつかの記憶1910年
『赤沢、どうした?』
『飯をくれ』
『・・・・・・今はあの人の飼い猫じゃなかったっけ』
『肝心の飼い主が飯をくれないんだ』
まだこの頃は小さな寒村に過ぎなかった日立村は、鉱山のもたらす金によって地域を潤していた。
久原鉱業が作った鉱山周辺を通る鉄道を動かすという話もあった。
『大変だね』
『我輩の宿命のようなものだからな』
蒸されたさつまいもを食べると、男の声が聞こえた。
かすかに工業油と汗のにおいのする、我輩の面倒を見る男。
『日製ー、どこだー?』
『・・・・・あれは?』
『我輩のもう一人の飼い主、と言えばいいのだろうな。』
日立のくれたさつまいもをありがたく完食して、男の元へと走った。
* *
1920年
『日立鉱山を君に譲ろう』
『え、いや、俺は鉱山経営なんて・・・・・』
『違うよ、黒猫の方だ。時々日立には顔を出させてくれれば良い。』
『はあ・・・・・』
『日立製作所として独立するのならば、守り神がいないと』
小平は目を2度3度こすり、顔を叩いてから聞いた。
『日立製作所は久原鉱業所の施設の一つ、のはずですが』
『君たちは株式会社になる、だからその猫は守り神だ』
こうして1920年、日立製作所は1企業として独立した。