日立製作所として独立するその日、一匹の自分によく似た黒猫が現れた。
そいつは自分にとてもよく似た背格好の目の青い猫だった。
『お前、名は?』
『・・・・・久原鉱業所』
『我輩は日立鉱山、今日からは日立製作所だ』
こいつが自分の後を継ぐ猫なのかと、一息をつくと同じタイミングでこいつもため息を漏らした。
『兄弟か』
『そうなるな』
同じ黒い毛並みを持った兄弟は後に、JXホールディングスと名乗る事になる。
日立鉱山、いつかの記憶1918年、東京へ引っ越す事が決まった。
『これでお前も立派な一企業だなぁ』
にゃぁと答えると、車に乗っけられた。
酷く揺れる中で懐かしい日立の海が見え、この海としばしの別れかと覚悟した。
* *
東京に引っ越した後も、工場には毎日顔を出した。
工場の男たちは適度に可愛がり、時に嫌いながらも新しいものを作り出していった。
1922年2月、国鉄の工場から帰った小平は言い出した。
『日製、電車を1から作るんだ。よく見ておけよ?』
後に知ったことだが、このとき役所からの注文を受けていなかったが勝手に設計していたのだと言う。
楽しそうに紙に線を引く姿にどこか子どものようだと思ったことを覚えている。
2年後の1924年、電車は完成しのちに国鉄を走った。
そして意気揚々と輸出用扇風機や冷蔵庫などを作る姿に一種の高揚感を覚えていった。
* *
この頃、日立も一つの変化を迎えていた。
『日製』
『・・・・・日立、随分変わったな』
『日製と鉱業の影響だと思う、服装的にはつなぎって楽だしね』
日立製作所助川工場、久原鉱業という二つの工業所に挟まれる形で日立はだんだんと巨大化していった。
隣村である助川とは後に合併するが、もう一つ新しいものが生まれた。
『そうだ、常北とまだ会ってないよね』
『常北電気鉄道、か』
1927年、常北大田―鮎川を繋ぐ鉄道会社が成立する。
それが常北電気鉄道である。
『呼びに行く?』
『頼む』
常北との出会いはまた別の影響をもたらすが、それはまた別の話。
おわり
常北大好きなのは私だorz
日立が今の姿になるまではざっとこういう流れですよーというはなし。
電車云々はついでに触れて起きたかったんです、はい。
そうだ、JX書き足さないと。