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コーギーとお昼寝

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常陸国水戸日記4

「水戸、手伝え」
「なにをー?」
「佐竹様が出羽国へ転封だ」
太田の不機嫌さを隠す気の無い声に妙な納得をしながらも、仕方ないとため息をつきつつ立ち上がった。

常陸国水戸日記

佐竹氏が出羽へ転封となったのは、東軍にも西軍にもはっきりしない態度を取ったせいだ。
一応西軍寄りではあったのだけれどどっちにもはっきりしないから出て行けというのも不思議な話である。
まあ徳川家にとって佐竹氏が江戸に近い水戸にいるというのが目障りだったのかもしれない。
「………嬉しそうだな」
「次の城主は面白い人だと良いけど」
その願望は、水戸にとってとても意外な形で叶うのだがそれはもう少し先の話。










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常陸国水戸日記3

1600年(慶長5年)
「水戸」
「……なに」
「愛想が無いなお前は」
「悪かったね」
「そんなに嫌いか」
「個人的には」
もちろん、この場合嫌いなのは城主の佐竹一族に他ならない。
水戸はあまりあからさまに出すほど愚かではないとしても、太田にはごく普通にそれを出していた。
「そうか」
「で、わざわざここに来たってことは用事があるんでしょ」
「上杉討伐に呼び出された」
「へー……って上杉?あそこは仲良かったんじゃ」
「豊臣に背く気配あり、だそうだ」
これが後に大きな波乱を巻き起こすのはこのときは誰も知らない。

常陸国水戸日記

上杉征伐は結局なんだかんだでうやむやに終わり、唯一ひどい目にあったのは下妻である。
「……どこに消えたんだか」
「なにが?」
「下妻の多賀谷が宇都宮にいる家康暗殺をもくろんで失敗した挙句、失踪したらしい」
「それ一番不憫なの城主に逃げられた下妻じゃない?」
ちなみに多賀谷氏は結城家の家臣ではあるが、現当主の養子が佐竹氏の出のため気にかけることはあるらしい。

***

そんなこんなで世界は疾風怒濤のように流れていた。
気づけは西が騒がしくなりだしていた。
「こんにちわ」
「あれ、下妻珍しいね」
「……暇なんですよ」
少しだけ口ごもるように視線をそらしながらも下妻の言葉に納得する。
城主に逃げられた後、何だかんだでやっていけるようだった。
「まあ平和が一番だよねぇ」
「そんな事言ってられないんですけどね」
「何かあったっけ?」
「関が原!家康と三成が戦おっ始めて改易と転封の準備始まってるんですけど?」
「あれ、いつの間にそんなことなってたの?」
水戸は本気です。
なにせ佐竹氏がここに来て以降、水戸はのんびりとしていた。
もともと政治云々には関心が無かったのでこんな調子なのである。
「……俺、水戸さんのそういうとこたまに凄く羨ましいです」
「下妻も引っ越すの?」
「家康公のご子息を迎え入れるらしくてなんか陣屋を新しく作るそうです」
「へー、新しいおうちか」
「まあその後どうなるか……」
下妻が苦笑いをこぼしつつ軽くため息をついた。









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常陸国水戸日記2

文禄4年(1595年)2月
改築後の馬場城、いや水戸城は春の兆しを城じゅうに迎えていた。
「や」
「鹿島と麻生?珍しいね」
そこにいた組み合わせはちょっと珍しいもので、どちらもここにはめったに顔を出さなかった。
相変わらず布で体を覆って素顔の見えない麻生と、いつもどおりおっとりした空気を放つ鹿島だった。
「ちょっと呼ばれてね、随分綺麗になったんじゃない?水戸も少し背が伸びたし」
「へ?」

常陸国水戸日記

「……町の成長に合わせて姿が変わるのですよ」
「そんなこと初めて聞いたんだけど」
「まー、意外と気づかないからねぇ。府中だって昔はもっと手がつけられなかったし」
「鹿島の言う昔ってどれくらい?」
「だいたい大和朝廷のころかなぁ」
自分と鹿島では時間が違いすぎると一瞬頭がクラクラした。
まあ鹿島神宮とほぼ同い年ぐらいの相手に何を言っても勝てる訳が無いのかもしれない。
「時間感覚違いすぎ」
「そう?」
「うん」
そんな時、遠くから聞こえたのは悲鳴だった。

***

現代
「無用心だったよねぇ、今思うと」
「……無用心どころじゃないでしょ」
鹿島を統括していた鹿島氏は佐竹と不仲であった。
つまり、あのときの悲鳴は謀殺された時の悲鳴だったのだ。
「もっと正々堂々するべきだ」
「だからいつまでたっても太田と喧嘩するんだよ」








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常陸国水戸日記1

1590年(天正18年)・水戸
馬場城は、平和だった。
古くは大禄氏(馬場氏)の城として生まれ、後に江戸氏の城となったのが1416年(応永23年)のことでかれこれ170年ほど水戸は江戸氏の町として暮らしてきた。
「……よ」
「太田、何か用?」
「愛想がねぇなお前は、佐竹様からのお達しだ」
太田は佐竹の城下町である。
町同士にもそれなりの格というか特徴があり、それ相応の振る舞いというものがある。
水戸と太田の場合はそれはかなり特殊だった。
まず、江戸氏と佐竹氏は主従関係にあるがたびたび対立をしていた。
次に先ごろの小田原征伐で江戸氏は北条方に、佐竹氏は豊臣方にと対立している。
「どういうお達し?」
「先ごろの小田原征伐で義重様は常陸一国を受け取った、それに併せてここを新たな城にするそうだ」
「……出て行けって事」
「まあそういう事だ」

常陸国水戸日記

江戸氏は馬場城を捨てなかった。
これにより4年にわたる佐竹氏の馬場城攻めが始まる。
「どうも」
「那珂湊?太田じゃないんだね」
「直接あったら喧嘩になりそうだからこっちで引き受けたんです」
「……江戸氏を追い出せって話?」
「もちろん」
「170年も世話になった人追い出すに追い出せないでしょ」
水戸もそれ相応に理解していた。
佐竹には東国一の鉄砲隊があるし、後ろには豊臣がついている。
「まあ、そうですけどね」
「情勢は良くないけどね」


***

1594年(文禄3年)
「じゃあ、結城によろしく」
「申し訳ない」
江戸氏は家族を連れて結城へと敗走。
これにより水戸は佐竹氏の新たな根城となる。









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五浦釣人のはなし

五浦の海が見える。
赤い建物と青い海の見える場所。
「あー・・・・・・」
「北茨城、汗だらだら」
「んじゃあハンカチ貸して」
呆れながら高萩がハンカチを差し出したので、ぐりぐりと汗をぬぐう。
海沿いの木陰とはいえ全国的な猛暑だという。
そしてゆっくりと歩きながらひとつひとつを目で確認する。
「そこまで必死に保守点検する理由ってあるの?あくまでもここは茨大の管轄だし」
「親が大切にしてたもの大切にするのは当然でしょ?」
五浦は何も残せないけれど、なんて言っていたけれどここを残してくれた。
まだ僕が生まれる遥か昔の画家の足音の残るこの場所を。










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