バリトンボイスが私の耳に心地よく届いた。
昼下がりのリビングには私と丸岡だけがその部屋にいて、ソファーでうたた寝していた私を緩やかに目覚めへと呼び起こした。
「……マル?」
「春江、起こしちゃった?」
「別にいいよ」
のろのろと起き上がって、台所の冷蔵庫から取り出したキンと冷えた麦茶を目覚めの一杯にと飲み干す。
丸岡の手には、一冊の本があった。
「それを朗読してたの?」
「うん」
「頭から聞かせて」
私が丸岡に麦茶を差し出してそう告げる。
ぺらりとページを戻すと、すっち小さく彼は息を吸い込んだ。
「“春はやいある日/父母はそわそわと客を迎える仕度をした/わたしの見合いのためとわかった“」
それは、妙な薄暗さを含んだ声であることに気付く。
不本意な結婚を痛切なことばで語るその詩は、何故か私の心の琴線を突いてくる。
失望と諦めと恐怖がことばのうちに混在する。
「“わたしは死ななければならない/誰もわたしを知らない/花も知らないと思いながら“」
そうしておもむろに近くにあった紙切れを本に挟むと、「こういう詩だよ」と丸岡は告げる。
これはたぶん、丸岡の言葉の代わりなのだ。
告げる事の出来ない、薄暗くて寂しい言葉たちを、詩の上に載せて語るためのことばだ。
「……さみしい詩だね」
「うん。でもね、この詩の作者は不本意な結婚をしたけれど離婚して、兄を頼って上京して詩の世界で活躍した」
もし合併が結婚と同じであるのならば、離婚するように独立することは出来るのだろうか。
ぼんやりと、考える。
丸岡と春江。
作中の詩の引用元は
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