釜石のうちには古い炬燵がある。
100年近く現役のそれは壊れては修理し、時々新しい布団に変えたりしながらも未だに釜石の家で現役で使われている。
「いい感じに寒くなってよかったな」
「ここのところ暖冬でしたしね、鍋日和が無くて寂しいくらいでしたし」
「室蘭のとこだと暖冬でも関係ないじゃろ?」
「そうでもないよ?身体が寒さに慣れてる分調子が出ないくらい」
八幡のお手製ポン酢のたっぷり入ったとんすいに白菜ともやしと鶏肉を突っ込んで、思い切りほおばれば野菜の甘みと鶏の油が最高に美味しい。
「でもこの三人で食べるのも久しぶりですね」
「あー……言われてみればそうじゃな。日鐵時代はよくあったのにな」
八幡と釜石の言葉で、最後に三人で食べたのはいつだったかとぼんやり思い出す。
最初に3人で食べた日は覚えている。
日鐵という組織が生まれた少し後、たしか2月頃だっただろうか。
『ちょっくら築地まで散歩しとったらいきのいいタラを見つけたんで買ったんじゃが、みんなで鍋でも食わんか』
『あなたが作ってくれるのなら』
『言い出しっぺがやらんでどうする、野菜も買ってある。輪西も手伝ってくれるか?』
『もちろん!』
あの時は、八幡と釜石が楽しそうに笑いながらタラと野菜の鍋を作って食べたんだった。
それ以上のことあまり覚えていないけれど、あの時が確か三人で一緒に食事をした最初の日だった。
それぞれてんでばらばらのところに暮らしているからあの頃は三人で食事するのは東京に滞在する数週間の間くらいで、それがいつも少しだけ楽しみだった。
「……なんか、昔より一緒にご飯食べる機会増えてない?」
「そりゃそうじゃろ」
「いまうちの身内何人いると思ってるんだか……」
あれから長い月日を経て僕らにはたくさんの仲間ができた。そして身内が一人増えるたびにお祝いをし、全員が集まるたびに皆でごはんを食べた。
記念日が増えればこうして顔を合わせる機会も増えた。
(そっか、そういう事か)
「まあ飯はみんなで食う方が寂しくないからな」
釜石が嬉しそうに笑う。
「それもそうだね」
私の中でこの三人が熱いのでよく書いています。
日鐵時代とか官営八幡時代とか書きたいんですがまだ脳内処理が追いつかないので書けたら書きます。
あと製鉄所擬人化のタイトル決まりました(謎のお知らせ)