釜石が周囲から見て特別な存在であることに気付いたのはそれから2~3日経ってからの事だった。
朝から俺を近所の無人直売所に行かせて新鮮な野菜を買い込んで作った天ぷらの美味しさ。
八幡は釜石に会いに行くからと上機嫌で出て行った時の声のハリ。
俺を愛してくれているはずの八幡にもあんな顔をする人がいるのだということに、あの頃の俺は少なからず嫉妬をしたのだ。
「八幡、また大阪に行くん?」
「そろそろ堺の様子を見に行かないといけなくて」
「俺のこと気にしてくれんの?」
「私だって仕事なんですよ」
八幡は聞き分けのない子供を宥めるような声でそんなことを言う。
堺とはまだ会ったことは無かったが、既に操業開始から5年が経って既に安定的に動いていたことを考えれば八幡が気にかける必要はあまりなかったはずなのだ。
その理由は後々知ることになるのだが当時の俺にはそんなことは関係のない事だ。
「ここに残ってくれんといや」
「だからそれは無理なんです……戸田、明日は君津の好きなもの作ってあげてください」
「だってさ。諦めなよ、君津」
「うー……」
俺が渋々と言う顔と雰囲気で八幡から離れると、行ってきますとだけ告げてうちを出て行った。
「君津はほんとに八幡好きに育ったな」
「何なん」
「いや、何でもない。明日、何食べたい?」
「チキンカレー」
「了解。明日直売所行くよ」
今思い返せばきっと東京は俺が八幡の特別にはなれないことを分かっていたのだ。
俺と八幡と東京だけの小さな世界はきっと釜石の存在を理解した時からひびが入りだしたのだと、今なら分かる。
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あれは確か夏も終わりの8月の末頃だった。
「俺は住友金属鹿島、君と友達になりに来たんだ」
突如俺の元にやってきた少年は海の青とキャラメルカラーを纏い、波の輝きに似た笑顔をこぼした。
いつだって鹿島はわが道を突き進んでいて、こうやってわざわざ脱走してまで俺のところに来てしまうようなところがあった。
「……ともだち」
「うん、友達。うち年上ばっかりで年の近い人いないから対等な友達が欲しかったんだよね」
俺は少し返事に迷いつつも、こくりと頷くと「じゃあ、よろしくね」と鹿島は笑う。
そうして友達になった鹿島は俺の小さな世界に入ったひびを大きくさせてきた。
和歌山が不在の時にこっそりと抜け出してはわざわざこの君津の地まで遊びに来て、時には千葉の元まで連れ出すことさえあった。
「ちーばー!」
「鹿島じゃん、ひさしぶりー」
俺よりも少しだけ年上の少年がふわりと笑って手を振る。
ワインレッドの瞳の温かさは俺たちを歓迎しているものだという事はすぐに分かった。
川崎製鉄千葉と鹿島は会社こそ違えど友達になっていて、こうして君津の町から外に出ない俺を引っ張り出すことさえあった。
2~3度遊んでいくうちに周囲を振り回す傍若無人な鹿島とそれを面白がる最年長の千葉を諫めるのが俺の役割のようになっていて、呆れながらも俺自身それを楽しんですらいた。
鹿島の底抜けの明るさと千葉の面白がりな気質は俺の周囲にはないものだった。
次へ17.6.17千葉について少し追記