阪神製造所に統合されてから、私たちの生活は穏やかになった。
川崎製鉄の顔役としての仕事を千葉に譲って私たちは生活のほとんどを神戸の街で過ごした。
私は葺合に渡された古い万年筆で仕事をこなし、葺合は私がプレゼントした手帳を愛用してくれた。
「西宮」
「はい?」
「昨日此花から聞いたんだが、ずっと俺のことを好いていてくれたんだろう?」
「……聞いちゃったんだ」
「ああ。そう聞いたら嬉しくなった」
葺合はそう告げると、見たこともない穏やかな顔で私に笑いかける。
ずっと追いかけてきた姿がそばで笑いかけてくるのは正直心臓に悪い。
「だから、ありがとう」
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1994年(平成6年)3月、阪神製造所廃止。
葺合は水島製鉄所神戸地区になり、私は千葉製鉄所西宮地区となった。
しかしそれでも私たちの関係は変わることは無かった。
そしてこのまま一緒に生きてゆけるのだと信じていたのだ。
葺合の廃止が告げられたのは、1995年(平成7年)の春の終わりのことだった。
―振り向くな、振り向くな、後ろには夢が無い。
―ただ前を向いて走る事だけが、未来への最短距離だ。
私は神戸の街を走った。
愛する男の姿を必死に探し求める足は止まることは無い。
心臓はバクバクと鳴り響き、浅い呼吸を繰り返しながら私はその姿を探し求めた。
遠くで鐘の音が響く。
いつもなら鳴るはずのない鐘の音を聞いて、私は唐突に理解した。
(これは、葺合を弔う鐘だ)
戦後を走り続けた男は私だけを残して、去っていった。
という訳で葺合西宮一挙更新キャンペーンでした。
川崎製鉄時代はちょっと濃すぎて頭くらくらするぐらいなのでみんな見てくれ。