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コーギーとお昼寝

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ナイトウォーカー5

元々釜石の帰郷は出銑が終わったらという事になっていて、出銑に失敗しようが何だろうがどちらにせよ帰る日は決まっていた。
出銑が失敗に終わり職員一同が上からの対応に追われていたので釜石から来た技術者らも帰郷の一度日付けを伸ばして対応に当たったが、どちらにせよ一度帰らねばならないことは明確だった。
釜石の帰郷が近づくにつれ、幼い私は壁に当たり散らすようにガンガンとぶつけていた。
(そう言えばあの壁のへこみはこの頃に作ったものでしたっけ)
ストレスをためるとすぐ壁に当たるものだから煉瓦がだんだんすり減ってへこみになったんだ、と思い出して苦笑いすらする。
それでも他人に危害を加えなかったのは付喪神として自分よりも弱いものに手を出すのは卑怯だという矜持だった。
釜石の帰郷前夜の真夜中、私はその日は壁をガリガリと削って八つ当たっていた。
「……八幡?」
月の灯りだけが差し込む私のベッドの横で寝間着一枚の釜石が声をかけてきた。
「眠れんのか?」
どう答えたらいいのかも分からない幼い私はぷいっと視線をそらすので、釜石は「壁の事は怒らんから正直に言うてみぃ」と付け足した。
削りかすの落ちたベッドに腰かけて目線を合わせた釜石に「ほんとうに?」と尋ねれば「おう」と返してくる。
少し思案をした後「……ここのところ、眠れないです」と告げると「やっぱりか」と呟いた。
後になって釜石にこの時の事を聞いたことがあるが、釜石は気づいていたのだけれど元から遅寝だったので眠くないのか眠れないのかの判断がつかなかったと言っていた。
「散歩するか」
「はい?」
「安眠の妖精を探しに行くんじゃ。ええっと、何と言うたか……」
「ウィリー・ウィンキーですか?」
「そいつじゃ」

****

初春の八幡の村に出て、何のあてもなく歩き出す。
ぽっかりと浮かぶ満月は私達二人きりの夜道を明るく照らしてくれる。
釜石とつないだ手の熱だけが私に伝わってくるぬくもりだった。
「釜石、」
「うん?」
それは民家の軒先に咲く桜の木だった。
黒塗りの塀を超えるほどの大きな桜の樹は月明かりの下で幽玄に咲き誇り、満月の中で輝くようだった。
「……この時期でも咲いてるのか」
「釜石のところではもっと遅いんですか」
「ほうじゃな、だいたい4月の終わりか5月の頭ってところか」
「じゃあ、そっちで桜が咲いたら教えてください」
「そんくらいならいくらでも」


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ナイトウォーカー4

周囲を見渡せばざわざわとざわめく人。
第1高炉の周辺には悲鳴にも似た声が辺りを飛び交い、私はその場に立ち尽くしている。
幼い私はただそこに立ち尽くしてその事実に放心している。
映画の世界に潜り込んだような気持ちでその光景を眺めていた時だった。
「八幡、」
そう呼びかけた釜石は少し悩んでから「……茶でも飲みに行こう」と告げてきた。
「あんまり失敗を引きずるのは良ぉないからな」
「しっぱい」
釜石の言葉をほんの幼い頃の私がころりと口で転がす。
(これは私が出銑に失敗した日の光景だったのか)
1901年(明治34年)11月、作業開始式の光景だった。

****

そうして釜石が部屋に幼い私を連れ戻すと、煎茶と小倉で買ったというカステラを出してきた。
当時はまだ物珍しいお菓子だったカステラであっても幼い私の心を晴らす事は出来ないようだった。
「八幡、」
「はい」
すっとカステラの一切れが幼い私の口元に寄せられる。
釜石は目でこれを食えと告げていて、幼い私はそれをぱくりとほおばった。
「……おいしい」
「じゃろう?悲しくなったら美味しいものを食うんじゃ。そうすると自然に涙は引っ込む」
そう言えば釜石はそうだったな、と思い出す。
悲しい時ほど美味いものを食って悲しさを忘れようとする人なのだ。

「それに、わしと素晴らしい外人さんらに育てられたお前が劣等生な訳がない」

釜石は私を励ますとき、よくそう言った。
それは昔からそうだった。ひどく自信を無くしそうになるといつもそうして私を慰めに行く。
まったく嘘偽りのない声色の強さで私はようやく私を肯定するのだ。
「私は、あなたの一番弟子ですもんね」
「おう」
「失敗は成功のもと、ですしね」
「ほうじゃ、ちょっとやそっとでへこたれるな」
幼い私は釜石の力強い肯定を受けると、元気が湧いてきたのか顔色から暗さが取り除かれる。
(この頃から私は釜石に弱かったんですねえ)
そう思うとなんだか苦笑いすら出てくる。
この幼い私の世界の根っこには釜石がいて、彼が肯定さえしてくれればそれでよかったのだ。
きっとこれ以上幸福な時代は無いだろう。
ぺらりと風に揺れたカレンダーには釜石の帰郷の日が近い事が記されていることには気づかぬふりをした。




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ナイトウォーカー3

起き上がってみればそこはいつもの独身寮の角部屋だった。
背伸びをして壁の時計を見れば午前6時半過ぎを指している。
ゆっくりと起き上がって着替えて部屋を出れば初夏の晴天が広がっていて良い気分だ。
事務所にひょっこりと顔を出せば馴染みの事務員が神棚に枇杷を並べていて、私の存在に気付いた彼女が「枇杷要ります?」と尋ねてくる。
「いいですね、頂きます」
「どうぞ」
枇杷を受け取って給湯室に向かい、軽くすすいでから皮をむいて齧るとほんのりと甘酸っぱい初夏の味がする。
つい無心になって食べていたら貰ったものを食べ切っていて、手が汁で汚れていた。
(……少し品のない事をしてしまいましたね)
別に怒る人がいる訳でもないのについ辺りを見渡して確認してしまう。
例えるなら、道草して花の蜜を吸うようなちょっとした悪事をするあの気持ちだ。
手ぬぐいで手を軽くぬぐってから給湯室を出ると、先ほどの彼女が「気に入っていただけて良かったです」と小さく耳打ちをした。

****

今では出入り禁止になった本館の鍵を開けて、のんびりと中を巡っていく。
現在は旧本館と呼ばれて近くの眺望スペースから眺める事しかできない場所ではあるが、私は例外的にここの出入りが自由に許されているので時々こうして中を覗きに行く。
建物の煉瓦たちが私を歓迎しているのが何となくわかる。言葉ではない無意識に発される感情を受け取ったとでも言おうか。
釜石も今は世界遺産になった大橋高炉に行くと歓迎されている心地になると言うので私特有の事象ではないのは確かだ。
「ここだ」
私と釜石が共同で使っていた部屋はその後建物の機能移転に伴って用途が何度となく変わって今はがらんどうになっていて、私が過ごしていた頃の名残はほとんどない。
部屋に足を踏み入れて、ぐるりと部屋を回る。
ふいに私のベッドが置かれていた場所の壁にへこみを見つけて、思わずその手で触れていた。




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ナイトウォーカー2

「起きたか?」
目の前に広がるのは毎日見ている天井と、釜石の姿だ。
しかし自分の知っている釜石の姿よりも明らかに若く14,5の青年であり、、着物も自分が知っている釜石よりも少し華やかに朱色の羽織をしている。
(ああ、これは夢か)
きっと自分が生まれた頃の、官営の2文字を背負っていた頃の自分の夢だ。
「……はい」
「おはよう、官営八幡製鉄所」
初めて出会う自分の仲間に向ける慈しみの目は穏やかで温かな色彩を帯びている。
こうして振り返ってみると彼の眼はこんなにも温かだったのかと思う。
今では随分とあいまいになった出会いの日の記憶をこうして見返してみて気づくこともあるのだなあと思った。
「火入れの日にお目覚めとはなええタイミングで起きるもんじゃ。
……ああそうじゃ、自己紹介せんといけんな。わしは田中鉱山釜石製鉄所、これから1年お前さんの面倒を見ることになる。」
「かまいし」
「おう」
ころりとその名前を呼んでみれば返事が返ってくる。
当たり前だけれどそれが何故だか嬉しく感じられたことをいまも覚えている。
ゆっくりと起き上がって辺りを見渡せば西洋式の家具一式が揃えられているのを見て、この頃の私たちは本館の隅に西洋式の部屋を一つ割り当てられていてそこで生活を共にしていた事を思い出した。
「着替えてあいさつ回りじゃな、着替え取ってくるから待っとれ」

****

基本的な知識は受肉をした時には与えられていたものの、その知識のほとんどは日本のものでお雇い外国人の話すドイツ語や西洋式の習慣は新たに覚えなおす必要があった。
書籍や技師たちの会話を聞いて独逸語を学ぶのと同時進行で釜石から製鉄所としての知識を与えられる勉強漬けの日々。
覚えなければならない事の多さに目まいがしそうになる事も多かったが文句をいう訳にはいかなかった。
自分が背負っているのはこの国の礎となる鉄で、まして神様の端くれとして10月には出雲へ行く身なのだから文句など言うものではないと思っていた。
11月には東京から人を呼んでの作業開始式が行われることもあって学びには熱が入った。
「お前さんは勉強熱心じゃな」
「だって、そうしないと駄目なんでしょう?」
「ほうじゃがもう9時前じゃ、子どもは寝とけ」
「ねむくないです」
ぷいっと視線を逸らして本に視線を向けなおせば、後ろから本を取っていく。
釜石は少しだけ怒ったような声で「勉強せえとは言ったが睡眠と食事を怠れとは言うとらん」と私に言う。
「……分かりました」
諦めて机を離れてそのまま私は眠りについた。


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ナイトウォーカー1

夜の八幡の街をただ何の意味もなく歩くのが好きだ。
洞海湾をぐるりと回るルートは眠れないときの定番の散歩コースで、幼いころから繰り返し歩いていたはずの道を私は飽きることなく歩き回っていた。
真っ赤な若戸大橋のたもとまで来ればそこから折り返して帰ることもあれば、時には親切な車の運転手に乗せてもらって戸畑へ渡って歩いて八幡に戻ることもある。
きっとこうして夜の街を彷徨うのはあの人のせいなのだ。

『眠れんときは散歩するとええぞ、安眠の妖精を探しにな』

どうしても眠れない夜に私の手を掴んで一緒に歩いてくれた人の面影を、私はいつも歩きながら思い出す。
洞海湾を歩いてなぞりながらいつも思い出すのはあの人の黒い髪と瞳だけだった。

****

夜の散歩を終えて自宅に帰り着いた時には日付はもう変わっていて、そのまま先月買い替えたばかりのシングルベッドに横たわる。
独身寮の一番日当たりのいい角部屋は付喪神が住むには貧相な部屋のように思えるが特段文句はないので何も言わないでいる。
眼を閉じてみればウィリー・ウィンキー―子どもの頃に教えられた眠りを呼ぶ妖精の名前だ―の足音が聞こえてくる。
おやすみなさいと呟けばそのまま体は眠りへと落ちていった。





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八幡の過去話です。たぶん7話くらいで完結予定。

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