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コーギーとお昼寝

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神様は恋に落ちない:2

翌日、八幡から近況報告の手紙が届いた。
(あいつはほんと筆まめだな……)
時候の挨拶から始まってつらつらと近況や八幡の街の様子を綴った長い文を読むことは、自分にとって数少ない気晴らしの一つであった。
無論返事も書くが書くことが特段思いつかないのでだいたいははがきに時期のものの絵でも描いて送ることが多い。
棚にしまってある買い置きのはがきを一枚引っ張り出してさて何を書くかと考える。
パッと思いついたのは昨晩出会った娘の姿で、ならあの娘を描いてみようかと筆を執るのだった。

****

はがきを書き終えて、郵便局にはがきを出しに行く途中だった。
ああどうしようという顔で辺りを見渡す少女がいた。
地味な紺の紬にざっくりと簪でまとめた髪といで立ちこそ違うが、昨晩の娘だとすぐに気付いた。
「大丈夫かい?」
「あ……昨晩うちの店にいらしたお人、ですよね」
「そうだよ。それより何か困りごとでも?」
「下駄の鼻緒が切れてしまいまして、これ、借り物なのに」
「なるほど、簡単にでも直しておこうかね」
手元にあった巾着の紐を外すと、その紐で鼻緒を括り直しておけば「ありがとうございます」と告げられる。
「これは応急処置だから後でおかみさんに謝ることになりそうだね」
「いえ、助かります。……あの、後でお礼させてください」
「気にすることじゃあない」
「いや、気にします」
「そうかい。なら、今度会うたら小唄の一つでも聞かせてくれるか?」
「……私なんかで良ければ!」


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神様は恋に落ちない:1

1929年、戦後恐慌真っ盛りの薄暗い時代だった。
戦争の終結によって国内の鉄鋼の需要が落ち着き、製鐵合同の風が吹き始めていた。
4月も終わりの頃になるとこの釜石の町にも桜が芽吹いて春の足音が響き渡るようになる。
ごめんくださいな、と小さく呟いて料亭の中に入る。
製鉄所から一歩外に出れば全く自分は気づかれない存在なのだとこういう時はつくづく痛感する。まあ気づかれたところで何をどう言えばいいのかも悩ましいが。
あの頃、世間様の暗い時代の流れに精神は疲れていた。
ふとした瞬間に自分の作ったものが人を殺めるために使われていることが脳裏をよぎって、憂鬱な気分を酒で押し込めて寝ることもあった。
お国のために鉄を作るという目的意識の強い八幡はきっとそういう事は考えなかっただろうしきっとこの心理は理解されないだろう。
今思えば自分はうつ状態だったと分かるのだが、当時はそんな風に自己分析をする余裕もない。
このうつ状態で、戦後恐慌の嵐が吹き荒れるなかを走りながら製鐵合同の流れに向き合っていかねばならないというのは中々に疲弊することだった。
とにかく少しでも気分を晴らそうと、こうして夜の街の明るさに引き寄せられるようにこっそりと料亭の中に紛れ込んでは芸者の芸を眺めて暇をつぶした。
釜石は当時口減らしで売られてきた東北各地の娘たちが芸者として活躍しており、釜石の夜をにぎわせていた。
「あの、どうかなさいましたか?」
ふいに声を掛けられて驚いたように見てみれば、若い娘がいた。
歳は12,3と言ったところだろうか。黒くつややかな瞳に桃割れの黒髪と桜色の振袖。
まだ雰囲気や言葉遣いにあどけなさが残っているし振袖も丈が直されたものだから新米の芸者なのだろう。
製鉄所の中ならばまだしも外で声をかけられることは初めての事だった。
「……見えるのか」
「え?」
「たま菊、何してんだい?」
「あ、お揺姐さん。あそこのお客様を……」
「お客様なんていないじゃないか、そんな事してないで手伝っておくれよ」
たま菊と呼ばれた娘は困惑気味にこちらを見ながらも軽く会釈をして去っていく。
その背中をぼんやりと眺めながら何かが変わる気配がしていた。


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神様は恋に落ちない:序

深い深い霧が釜石の町全体を包んでいた。
初夏の釜石を象徴するやませと呼ばれる海からの霧だ。
(……肌寒いな)
寝間着に着ていた甚平の上に近くにあった羽織をして寝室から台所に出て、いつものようにお茶の準備をする。
朝茶癖は何時からか染みついていたかまともに覚えてはいないが、これをしないと朝が来た気がしないのも事実だ。
やかんでお湯を沸かし、急須に茶葉を詰めてお湯を注いで、湯呑に移して飲む。
シンプルな動作の積み重ねを間違えずに行う、そうしなければ大量生産は実現されない。
大量生産の象徴のような自分だからこういう事を考えてしまうのか、案外みんな同じようなことを考えているのか。
湯呑になみなみと注がれた熱い緑茶を一口飲めば身体がほんのりと温まる気がした。
残りのお茶は全部水筒に詰めて蓋をする。
幾度も繰り返した朝の手続きをこなしてから部屋を出た。

****

製鉄所の高炉には神様が潜んでいる、というのは製鉄所のある地域でまことしやかに囁かれている噂の一つだ。
実際、事務所の神棚には日本神話の最高神・アマテラスノミコトと製鉄と鍛冶を司るアメノマヒトツノカミ及びカナヤコカミと一緒にその高炉や製鉄所の付喪神も祭られているという。
数人の職員が自分に目礼をしてくるのを返しながら、神棚から煙草の箱を一つ貰っていく。
若い職員が不審そうにこちらを見てくるのでニッと笑ってごまかしておく。後で誰かが説明しておいてくれるだろう。
(ぼちぼち視えだした奴らが不審がる時期じゃし、言うといたほうがいいか)
自分から神様ですと言っても今どきの若者らは信じてはくれまい。
ましてこの新日鉄住金釜石製鉄所を己の神域とする付喪神、それが自分だなどという突飛な事実はなおさら。
喫煙スペースの壁に寄りかかりながらぼんやりと考えごとをしていれば、馴染みの職員がふらりとやってくる。
「どうも」
「おう。あの若いの視えるみたいじゃな」
「みたいですね。さっきの訝しみ具合凄かったですもんね」
「ぼちぼち若いもんに製鉄所の付喪神はほんとにいるぞー言うて驚かせる時期か」
「だと思います。今夜にでも準備しますよ」
「おう、にしても事務方の子で一か月かそこらで視えるようになったんは早い方じゃな」
「そう言う適性がある子なんでしょ、俺みたいに」
付喪神や幽霊や人魂は視える視えないに個人差がある。
そのなかでも視えやすい部類の人間を≪巫女≫と呼ぶようになったのはいつの頃だったか。
この職員もそんな≪巫女≫の一人であった。
「まあ、相変わらず最速は破られんけどな」
呑み終えた煙草を灰皿に押し付けて喫煙スペースの外に出るとまだ海霧のひやりとした冷たさが残っていた。



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釜石さんの過去話。たぶん10話ぐらいの長い話になる予定です。

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僕らが三人だったころ

釜石のうちには古い炬燵がある。
100年近く現役のそれは壊れては修理し、時々新しい布団に変えたりしながらも未だに釜石の家で現役で使われている。
「いい感じに寒くなってよかったな」
「ここのところ暖冬でしたしね、鍋日和が無くて寂しいくらいでしたし」
「室蘭のとこだと暖冬でも関係ないじゃろ?」
「そうでもないよ?身体が寒さに慣れてる分調子が出ないくらい」
八幡のお手製ポン酢のたっぷり入ったとんすいに白菜ともやしと鶏肉を突っ込んで、思い切りほおばれば野菜の甘みと鶏の油が最高に美味しい。
「でもこの三人で食べるのも久しぶりですね」
「あー……言われてみればそうじゃな。日鐵時代はよくあったのにな」
八幡と釜石の言葉で、最後に三人で食べたのはいつだったかとぼんやり思い出す。

最初に3人で食べた日は覚えている。
日鐵という組織が生まれた少し後、たしか2月頃だっただろうか。
『ちょっくら築地まで散歩しとったらいきのいいタラを見つけたんで買ったんじゃが、みんなで鍋でも食わんか』
『あなたが作ってくれるのなら』
『言い出しっぺがやらんでどうする、野菜も買ってある。輪西も手伝ってくれるか?』
『もちろん!』
あの時は、八幡と釜石が楽しそうに笑いながらタラと野菜の鍋を作って食べたんだった。
それ以上のことあまり覚えていないけれど、あの時が確か三人で一緒に食事をした最初の日だった。
それぞれてんでばらばらのところに暮らしているからあの頃は三人で食事するのは東京に滞在する数週間の間くらいで、それがいつも少しだけ楽しみだった。

「……なんか、昔より一緒にご飯食べる機会増えてない?」
「そりゃそうじゃろ」
「いまうちの身内何人いると思ってるんだか……」
あれから長い月日を経て僕らにはたくさんの仲間ができた。そして身内が一人増えるたびにお祝いをし、全員が集まるたびに皆でごはんを食べた。
記念日が増えればこうして顔を合わせる機会も増えた。
(そっか、そういう事か)
「まあ飯はみんなで食う方が寂しくないからな」
釜石が嬉しそうに笑う。
「それもそうだね」





私の中でこの三人が熱いのでよく書いています。
日鐵時代とか官営八幡時代とか書きたいんですがまだ脳内処理が追いつかないので書けたら書きます。
あと製鉄所擬人化のタイトル決まりました(謎のお知らせ)

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彼と彼女の話

「そういえば、旧住金の最年長って此花の製鋼所ですよね?」
八幡の唐突な質問に「そうですね」と答える。
新日鉄と住金の併合後、何かと交流を持つようになったけれどこの100歳オーバーの製鉄所の扱いは難しい。
「まとめ役の話なら八幡が旧新日鉄のまとめ役やってるのと同じですよ、旧住金の主力は俺と鹿島ですから」
「そうでしょうけど、此花の製鋼所もそうですけど尼崎や小倉もいたじゃないですか」
「尼崎は製鋼所が言うならって感じで、それに小倉は浅野系列系の出だから住金内部の事にあんまり関心ないきらいがありますから」
今のとなっては遠い昔の話だ。

1942年(昭和17年)
「起きたかい、ちびすけ」
こげ茶の髪に桜色の瞳が目に飛び込んできた。
周囲を見渡せば飛び込むのは煙草臭いオフィスの景色だ。
「自分が何者か、わかるかい?」
その問いかけを頭の中で噛み砕き、ゆっくりと息を吐き出すように名前を口にする。
「……す、すみともきんぞくこうぎょう、わかやませいてつしょ……」
「良く言えたな。ようこそ、あたしたちの新しい弟。」
さらりとその掌が髪を撫でた。
その瞬間に、確かのこの人たちは自分と同じものなのだと理解したのだ。

「八幡さんは、自分が意識を得た瞬間に見たものって覚えてます?」
「私が最初に見たのは釜石の顔と、屋根の天井でしたかね。釜石に抱きかかえられていましたから」
なるほどと軽く笑みが零れる。
きっと誰もが遠い記憶を胸の奥に抱えながら、今日を生きている。




和歌山の幼少期のお話。
ちなみに和歌山が生まれた頃にはまだ小倉は浅野系列の独立企業でした。

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