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コーギーとお昼寝

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走る男と追う女1

1950年(昭和25年)8月7日
夏の盛りの暑い中で行われた株主総会が終わって、葺合と共に私は外へ煙草休憩を取りに出た。
「よう」
喫煙所で私を待ち構えていた住友金属製鋼所―通称此花―が煙草片手にひらりと手を振った。
日陰とはいえこんな真夏にここでずっと待っているとはずいぶん風変わりなものだ、と私は思った。
「住友金属は呼んでないぞ」
「違うさ、ただ単に独立のお祝いをね」
彼女は足元に置いていた鞄から小ぶりな花束を葺合に手渡してくる。
今日の株主総会で私達川崎造船製鉄部門は晴れて独立し、川崎製鉄となった。そのお祝いに彼女は花束を持って来たのだというのだ。
手渡された小ぶりな花束は夏らしく爽やかな青い花でまとめられたもので、少し暑さでしなびてはいるけれど水につければすぐに戻るだろう。
「そのために待ってたの?」
「律儀だろ?」
そうどや顔で私に笑いかけて来たので「馬鹿みたい」と返した。
でもこのお祝自体は決して悪い気分じゃない。
「あとこれは尼崎から新品の手ぬぐい、神戸からは簪だ。これで後は借りたものと6ペンス硬貨を用意出来たら良かったんだが、それはまあ他の奴に頼んでくれ」
手渡されたかのこ柄の手ぬぐいと赤い石のついた年代物の玉簪を次々に手渡され、私はどうしようと葺合に視線を送る。
「……此花、何の話だ」
「サムシング・フォーだよ、西洋の古い言い伝えで花嫁が幸せになるおまじないだ」
「はっ……?!」
声をひっくり返した私に「結婚するわけじゃないぞ?」と葺合が真顔で返してくる。
私は手渡されたものに戸惑いながらも此花は「いいんだよ、」と返した。
「独立も新しい門出だから、縁起のいいもん渡した方が良いと思ってな」
「なるほど、縁起担ぎか」
「葺合そんなあっさり納得していいの?!」
「ちなみに、サムシング・フォーはどう言うものなんだ?」

「……『なにかひとつ古いもの』」
そう言って玉簪を指さす
「『なにかひとつ新しいもの』」
次にかのこ柄の手ぬぐい。
「『なにかひとつ借りたもの、なにかひとつ青いもの』」
青い花束を指さしてから私の靴を指さした。
「『そして靴の中には6ペンス銀貨を』……ってやつだ。」

此花はそう告げると私の目を見た。
その瞬間、直感的に此花は私が葺合を好きでいる事を知っているのだと悟った。
だからわざわざこんなものを渡してきたのだ。
「じゃあ、私は行くよ。これ以上ここにいると葺合に広畑の件の文句言いそうなんでな」
「今更あの話を引っ張り出すな」
此花は吸い終えた煙草の火を消してからふらりとどっかへ去っていった。




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走る男と追う女0

―振り向くな、振り向くな、後ろには夢が無い。
―ただ前を向いて走る事だけが、未来への最短距離だ。
「葺合!」
派手な音を立てて開いたドアに従業員が一斉に振り向く。
荷物が片付いてがらんどうになった部屋に、あの美しいワインレッドの瞳の輝きはない。
「西宮さん、どないしました?」
「葺合はいる?」
「それが今朝から居らんのです、閉鎖式に出たないんやろうとは思うんですけど」
本社の社屋にも、ここにもいない。


(どこに行ったの、葺合)

感謝の言葉のみを告げて私はもう一度彼を探しに走り出した。



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西宮と葺合がメインの過去編です。神戸でも日新でもなく川鉄ってどういう事なん痕は自分が一番思ってます。

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太陽が昇る海6

出雲から帰って来てから時折堺は俺に絵ハガキを送ってよこした。
その内容は俺にとって心底どうでもいい内容だったが、見慣れない関西の風景の描かれたハガキは俺の興味をそそってきたので捨てたりはしなかった。
「君津、また堺からハガキだよ」
「今度は?」
「石切神社の絵だった、君津も偶には返事でも書けばいいのに」
「別に、」
「じゃあ代わりに返事書いとくよ」
「なんで」
「いっつつも向こうに手紙書かせるのは良くないと思って」
「……東京に任せるとろくなのにならんから、俺も書く」
そう言って俺をだまくらかしてはどこかから絵葉書を貰ってきて(大体は職員の家に死蔵されていた古い絵ハガキだった)住所と簡単な近況報告だけ書いて投かんした。
操業開始から2年目が過ぎた頃には、八幡は月に一度一週間の滞在していたのが季節の変わり目に1日だけ顔を出す程度になっていた。
「八幡はいつもああだから、」
東京が一度だけ八幡をなじったことがある。
久しぶりに君津のところに泊まるつもりです、と言う手紙が届いて俺はそれを楽しみにしていたのに八幡が釜石を優先して断りの電話を寄越してきたのだ。
後になってからそれが富士製鉄と八幡製鉄の併合の準備の会合であると知ったのだが、当時の俺はそんな事を何度となく体験していたものだからどうもやるせない気持ちになって布団にくるまっていた。
「仕事優先でこっちの気持ちなんて知ったこっちゃないんだ、あの人は」
それが東京の本音であることは分かっていた。
でも、あの人が優先したのは仕事ではなく釜石だったような、そんな気がした。

****

1968年(昭和43年)11月
第一高炉の火入れという晴れやかな記念日を迎えた製鉄所内はいつにもまして賑やかであった。
「君津、」
「……東京」
「こんなところで泣いちゃだめだよ」
「なんで、」
「今日から君津は一人前になるんだ、私よりもずっと大きくて八幡と対等な存在になる」
高炉が火入れするっていうのはそういう事だよ、と東京は言った。
「対等になれたら、八幡も俺の事大切にしてくれるんやろか」
「きっと、大丈夫だよ。だから行こう」







数日後、俺はヘアカラー剤を片手に一人で風呂場に入る。
ブリーチ剤で白くなった髪と少年と青年の過渡期の姿となった自分が鏡に映っている。
箱に書いてある通りに染め剤を作り、髪の毛に染料を塗りたくった。
多少染めむらができてしまったら恥ずかしいが仕方のない事だ、その時は潔く諦めることにしよう。
髪の毛に色が定着した後、髪の毛を洗い流すと黄色みを帯びた金髪が出来ていた。
八幡とは違う、ゴールドの髪は鹿島とは全く違う色ではあるけれど悪くはないと思った。



(これから、一人になるのだ)

八幡とともに立ち並ぶ存在であることの証明のように、立ち上る朝日の色をした髪はお湯を滴らせていた。


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太陽が昇る海5

11月はすべての神々が出雲の地に集う季節で、それは俺たちであっても同じだ。
10月も終わりとなれば、日本神話の最高神であるアマテラスノミコトと製鉄を司る神であるアメノマヒトツノカミ及びカナヤコカミとの邂逅のためちゃんとした衣装を整えて旅支度をすることになる。
すべての神が正服と呼ばれる冠に袍と袴を着用して(平安貴族をイメージしてもらうと分かりやすいだろうか)出雲大社に行くことになる。
八幡の横に一人の若い男の姿を見つけると、かちりと視線がかみ合った。
眼鏡越しに俺を見た青年は微かに唇を動かした。
そうして八幡も俺に気付いたのだろう、こちらを振り向くとすたすたとこちらに近寄ってきて「一人で来られたようですね」とほほ笑んだ。
「……きみが、君津なん?」
「そうばい」
「八幡弁なんやね、まあええけど。俺は八幡製鉄堺製鉄所な」
僅かに含みのある口ぶりで八幡が俺に手を差し出すので、一応の握手を返す。
堺がじっと俺の眼を覗き込むのでぷいっと視線を逸らした。
今思えばあれが始まりだったのだと分かる。
堺が俺を「よっかいち」と呼ぶたびに、俺はどうしようもなくいらだって「四日市じゃない」とむきになって返した。
四日市の存在の事は少しだけ聞いたことがある。
肉体を得ることのないまま消えていったという四日市と重ねられることはどうしようもなく嫌だった。
だというのに、堺はあの時はずっと俺を「よっかいち」と呼ぶのだ。


(俺は四日市じゃなかと、)

微かに歯ぎしりとともに八幡のもとを訪ねても、八幡はいつも不在だった。
「光、八幡はどこね?」
「いないの?」
「おらんかったから聞いとーと」
「ってことは、また釜石さんのお部屋行っちゃったのかな。ほんとあの人は……」
呆れたような溜息を吐いてから、光が思いついたように箱を取り出してくる。
「八幡さんが帰ってくるまでおやつ食べない?ちょうど土地神様からお菓子頂いたんだよ。蜜柑のお菓子」
「……食べる」
蜜柑のお菓子をは見ながら、俺は酷く苦しい気持ちになっていた。


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太陽が昇る海4

鹿島と千葉と言う知己を得て、俺の世界は少しだけ広がった。
2人が外に出る必要性自体感じていなかった俺を外に連れ出して、そこで出会うもの一つ一つに刺激を受けた。
千葉の誘いで都心の大きな劇場で映画を見たり船橋ヘルスセンターにテレビの公開生放送を見に行ったりと、とにかく土日になれば外に連れ出してくるような始末だ。
東京は基本的に俺の外出を歓迎したけれどあんまり連れ出されるので少しは仕事をしろと鹿島を諫めた事もあったぐらいだったが、それでも反省しないのが鹿島なので結局そのまま連れだされるのだ。
『そう言えば俺、東京タワー見たことないから行かない?』
「東京タワー……確かに見たことなかと」
『でしょ?だから見に行こうよ、千葉も行くって』
「分かった。待ち合わせは東京駅でよか?」
そう聞くのは付喪神に与えられた特殊な移動方法(俗にいうワープだ)を使わないという確認でもある。
ワープは便利なのだが、やると結構疲れるので緊急時か出雲に行く時ぐらいしか使わないようにというのが八幡の指示だった。
『うん。土曜日の午後3時ね。それじゃ』
電話を切ると東京が呆れたように溜息を吐きながら「またお出かけ?」と聞いてくる。
「うん、今度は東京タワー」
「住金さんは末っ子を自由にさせ過ぎじゃない……?」
「さあ?」

****

東京駅の改札口千葉・鹿島と合流し、地下鉄と徒歩で東京タワーを目指すことにした。
小中学生くらいの子供が三人で東京タワーに行くのは今だったら目立つだろうが、俺たちは人ならざる身ゆえに人目に付きにくいので問題は特になかった。
「ここだね、」
なだらかな坂を上り切ったとき、千葉がふいに足を止めた。
その目の前には赤と白のまっすぐにそびえ立つ美しい電波塔。
「おっきかねー」
「だね、鹿島と君津は初めてだっけ?」
「俺は東京ってあんまり縁ないもん」
俺は秋晴れの青空に突き刺さる赤と白の美しい塔の姿に見とれていた。
「君津ー?」
くいっと俺の顔を掴んで鹿島が自分の方に向ける。
空と同じブルーの瞳が俺の方に突き刺さってきて鹿島の顔の綺麗さを痛感した。
「君津、鹿島。早く並ばないといつまで経っても展望台いけないよ」
千葉がそう言いながらチケット売り場の行列へと歩き出す。
深い赤の瞳がきらりと瞬いて、奇麗だと思った。




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