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コーギーとお昼寝

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神様は恋に落ちない:7

会議に参加させられていた神戸と小倉は終始不機嫌だった。
司会進行役の八幡は二人の不機嫌を徹底的に無視しながら粛々と会議が進められる。
「釜石さんは、合同に加わるんでしたっけ?」
「国策じゃし断る理由が無いもんで。うち(神戸製鋼)と浅野系列は最初から加わらんと言うてるのになんで呼ばれてるのか」
「ほんとですよ」
この製鐵合同に加わるのは今回の中では自分と輪西と八幡の三人、ほとんど関係のない神戸や小倉からすればわざわざ東京まで行かなければならないなんて嫌がらせに近い。
小倉に至ってはもはや不機嫌を通り越して殺意に近い、普通に考えれば鶴見の浅野造船が行く方が早いんだから当然か。
「……小倉、あなたその殺意こっちに向けるのやめてくれませんか」
「ならさっさとこの会議終わらせて帰らせてくれればいいったい、最初から参加せんって言ってるうちを呼ぶ理由がねえっちゃろ」
「きさん誰に言うとるか分かっとるか?」
ああこれだめな奴だ、と瞬時に察した。
八幡から標準語が抜けるのはだいたい理性の歯止めが利かなくなりだした時だ。
「だいたいこげな嫌がらせみたいな会議やっとるほうがおかしか」
「こっちの言うとることは国の言い分じゃ、なんかきさんくらすぞ!」
「おー良か良か、こっちもきさんくらしとぉてしゃーなかったけんいくらでも買うちゃる。外出んね!」

「八幡、もう会議はここで終いにしとけ。」

「いや何言ってんですか」
「小倉は長旅で疲れとろう、必要なもんだけ渡してみんな休ませとけ」
「……分かりました」
溜息を吐いて会議の概要をまとめた書類を配り全員目を通すことを念押しされた後、三々五々に去っていく。
二人きりになった会議室で八幡が呟いた。
「いつもならもっと早くに止めたでしょうに、まだ調子悪いんですか」
「まだ二月しか経っとらんからな」
「これでも本来の予定より一月遅らせての開催だったんですけどね」
「じゃろうな」
本来この会議は4月の半ばにやると聞いていたがこっちの事情を鑑みて一月遅らせたのだ。
一月あれば少しは落ち着くだろうという八幡の目論見も外れたようだ。
「少しこっちで休んでから帰った方が良いんじゃないんですか?」
「いや、できれば早めに向こうに戻りたい」
「……たま菊ですか?」
その言葉にはあえて何も返さなかった。











あれから何年の月日を経ただろう。
たま菊は未だ行方不明のまま永い年月が過ぎ、今に至っている。
昼のやませの名残かまだ肌寒い夜の街を抜けて初夏の海辺にたどり着く。
釜石の海は命を呑む海だ。
その海の目の前で人々は暮らしを営み、自分もまた製鉄所の付喪神としての暮らしを紡いできた。
やませの出た日はこの海に白菊の花を投げ入れる。
この三陸・釜石にも夏が来たのだとたま菊にも教えたかった。
この海に呑まれたたくさんの命の供養などという殊勝なものではない、ただただ自己満足のような行いだ。
「……届いてんだか分からんなあ、この白菊も」
脳裏によぎるのはたま菊の笑顔だけだった。

-終-

釜石さんの初恋のお話。
こんな感じのことがあったので釜石さんは恋をしないんだよ、という話でした。

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神様は恋に落ちない:6

1933年、3月3日。
遠雷のような音を聞いた時、脳裏をよぎった嫌悪感はその日まさしく正夢となった。
のちに昭和三陸地震と呼ばれる津波に釜石の町はさらわれた。
残されたのはまっさらな三陸の大地と生き残った人間たちだけであった。

****

1933年、5月。
製鐵合同の誘いを受けた11社による集会が東京で開かれることになり、そこに自分も呼び出された。
「……なんでうちまで呼び出されるんかしら」
ぽつりと隣に座ってにいた美女が関西訛りで呟いた。
鮮やかな真紅のロングドレスに身を包んだこの豪勢な美女を見て、はてこれは誰だったかと思い起こそうとするが名前が出てこない。
「釜石さん、去年の出雲以来ですわね」
「あ、ああ……」
「そちらは大変だと聞いてますけど、大丈夫でした?」
「まあ色々、えっと、」
「あら、私ですわ。神戸製鋼所です」
そう名乗られてようやく思い出す。
この頃の神戸は苦労の多かった過去への反動のように華やかな服装や令嬢のような言葉遣いを好むようになっていた。
現在はこの派手好みも少し落ち着いたが、この頃は育ての親である鈴木商店の影響か南国風の鮮やかな色をよく着ていた。
「少し見ない間に痩せましたか?」
「そうかも知れんなあ」
「私で良ければ話聞きますわよ?」
どうぞ、と煙草を差し出してくるのでありがたく譲ってもらう。
燐寸で火をつけて煙草をひと口飲めば少しだけ気が緩んだ。

「……恋仲の女が、津波に呑まれて行方知れずでな」

ぽつりと呟くと神戸は静かに頷いた。
「相手は人の子なんだが、よぉ笑う奇麗な女でな。歳はまだ15だった。
今だに生きとるのか死んどるのか知れん、そのせいかこの頃どうも頭が回らんくてな。いちおう人前では普通に振る舞っとるつもりだったんじゃが」
「それはお辛かったでしょうね」
「辛いってもんじゃない、悪い夢を漂っとる気分じゃ」
譲ってもらった煙草が一本燃え尽きる。
神戸はただ静かにその会話に耳を傾けていた。
やがて会議室の戸が開きつかつかと八幡が入ってくる。
「全員揃ってますね?それでは、会議を始めます」



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神様は恋に落ちない:5

たま菊と恋仲になったのは夏の事だった。
姐さんから頼まれたお使いの帰り道だというたま菊とぼんやり街中を歩いていた時だった。
「凛々千代さま、」
「うん?」
たま菊がきゅと着流しの袖をつかんでくる。
それがなんとなく『このまま帰りたくない』というたま菊の意思表示のような気がして、ぽつりと「離れとぉ無いな」と呟いた。
たま菊ははいと囁くような声で返事をしてきた。
(ああ、この娘は同じ気持ちなのだ!)
喜びは胸の奥にしまい込んで平静のふりをして声をかけた。
「店の前まで送ろう、今日は人が多いからよお捕まっておけよ」
「はい、凛々千代さま。」

たま菊とはそれ以降何度も逢瀬を重ねた。
寝静まった真夜中に店を抜け出しては海や神社で待ち合わせ、他愛もない時間を過ごした。
日々少女から女へと化けていくさまを見ながら『凛々千代様』と呼ぶその声と姿をいつくしんだ。
不穏な世間の流れなど何も恐ろしくは無かった。
ただただ幸福な時間だけが流れてゆき、夏が終わり冬が終わり、気づくと1年が過ぎていた。

****

1932年、冬。
八幡から分厚い手紙が届いた。
内容の半分は『来年施行される日鐵法の準備に巻き込まれて忙しい』という恨み節で、苦笑いをこぼしながらも本格的に国によって製鐵合同が推し進められていくのだということを痛感する。
今日は少しばかり長めの返事を書こうか、と封筒と無地の紙を取り出す。
『八幡へ。
釜石の地にもついに初雪が降りだし本格的な冬支度の季節が来ています、雪の降らない九州がこの時ばかりはうらやましい。そんな季節です。
さて、お前さんの手紙では製鐵合同の新法の準備に巻き込まれたとかで相当苦労しているのだと伝わります。
こちらも元官営の身の上、そのうち巻き込まれるだろうと思うので頑張れとしか言いようがありません。とりあえず泣くな。』
ふと筆が止まる。
官営として国を背負ってきた八幡にとって自分が民営になるということは八幡の矜持にも関わる事であり、あまり下手な慰めはしない方が良いような気がした。
結局思いついたのは『製鉄の都・釜石と素晴らしい外国人技術者に育てられた八幡の鉄は世界に誇れるものになると確信している』という言葉だった。


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神様は恋に落ちない:4

その年の暮れ、八幡と東京で会うことになった。
同じ時期にお互い東京へ行く用事があったので久しぶりに顔を突き合わせて酒を飲みたい、という八幡の熱意にこちらが折れたとも言える。
神田の小さな宿屋の部屋に酒の肴を片手に押しかけてきた八幡はとにかく荒れに荒れていて持ってきた一升瓶を一人で飲み干し、まだ酒が足りないと宿屋の女将ににごり酒まで持ってこさせる始末であった。
「……私はね、嫉妬してるんですよ」
「は?」
「最近よくたま菊って娘の話をしてるでしょう?」
「そ、うか?」
八幡からの視線を反射的に避けても八幡のきつい視線は変わらない。
まるで亭主の不貞を疑う妻の詰問だ。別に自分たちは夫婦でも何でもないのだが。
「ただでさえ岩手と福岡で遠いっていうのに特別がどんどん遠ざかる、製鐵合同が成し遂げられれば小倉や神戸まであなたの身内になるんですよ?」
「いやでも、小倉や神戸とはせいぜい神無月の出雲でしか会うたことないぞ?」
「だいたいいきなり民間と一緒になれだなんて無茶ぶりにもほどがありますよ!この先身内になるだろう奴だけじゃなくて、たま菊って子にまで嫉妬する私の健気さを少しは褒めてくださいよ」
「あー、ほうじゃな。とりあえず酒はそのくらいにしとけ」
日本酒の瓶を八幡から奪い取る。
「もう飲むなってことですか」
「ぼちぼち寝る時間じゃろ」
「……分かりましたよ」
不機嫌そうに
自分は深い溜息を吐く。
(しかし、そんなにたま菊の話をしてたか)
少しばかり溜息を吐いて、窓の外に浮かぶ冬の月は静かに部屋のうちを照らしていた。

****

年が明けてから東京に戻り、神社の鳥居で待ち合わせていたたま菊に東京土産の榮太樓飴を手渡せばたま菊は嬉しそうに微笑んだ。
「姐さんらには内緒にな」
「はい」
可憐に微笑むたま菊はまさに芸者らしい顔とも言えた。
薄い月明かりの下であってもその瞳の輝きはきらきらとまばゆいばかりだった。
「凛々千代さまから手土産を頂けて幸せです」
「そうか」
「いただきます、」
こんな風に誰かを愛おしいと思えたのは初めてだった。
もう既にこれが世間が恋と呼ぶものだというは分かっていた。
自分が与えた榮太樓飴をひとつ口に転がすたま菊は美しいおんなであった。

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神様は恋に落ちない:3

それから一月ほど後、東京から役人が来た。
「製鐵合同、ねえ……」
以前から話は来ているが自分がいいとか悪いとか言えるものでもないことは自覚していた。
なんせこの製鐵合同は国策であり、中小企業がそうそう断れるものじゃあない。
そのうち法律を作ってでも一まとめにするつもりだというし、断る気もわかない。
「神さんはお気に召さないですか」
「いや、どうせ国策なら断りようがないと思ってな」
「そうでしたか」
深くため息の一つも吐けば隣にいた所長が切り出す。
「わざわざ東京からありがとうございました、せっかくですし一緒に酒でも飲みに行きませんか」
「そうですね、」
役人の頬が微かに緩むのが見えた。

****

料亭には芸者も呼ばれ、賑やかな宴が催される。
たま菊はこちらを見つけると嬉しそうに笑うので、こちらも軽く頬を緩ませた。
ピンとたま菊が三味線を鳴らせば「では、鬢ほつをひとつ」と告げる。

鬢のほつれは 枕の咎よ
それをお前に疑られ
勤めじゃえ 苦界じゃ
許しゃんせ

少し前に流行った小唄を美しい声と三味線で歌いあげ、こちらに視線を向けてぺこりと頭を下げる。
「ちと用を足してくる」
周囲の人にそう告げたのち、たま菊に軽く視線を向ければこくりと頷く。
春の終わりの心地よい夜風を浴びながら待っていれば、たま菊がやってくる。
「いい声をしとったな」
「ありがとうございます、えっと、」
「好きなように呼んでくれ。」
「……でしたら、凛々千代さま、でどうでしょうか。」
「どうして?」
「今まで出会ってきた人の中で一番凛々しいお方ですから」
凛々千代という音の響きがすとんと腑に落ちた。
今まで付喪神として名前のない存在であった自分が初めて得た名前であった。
「なら、たま菊の前ではわしは凛々千代じゃな」
「では凛々千代さま、先ほどの小唄はどうでしたか?」
「とても、奇麗だった」
そう告げるとたま菊は目を大きく見開いて、大きな笑みを浮かべた。
たま菊の大きな瞳に月明かりが反射して異国の宝石のように輝き、その瞬間に「この娘を手放したくない」と思った。




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