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コーギーとお昼寝

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音楽パロメモ

製鉄所組と土地擬人化音楽パロやるなら~っていう妄想まとめ。

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ナイトウォーカー6

「……さん、八幡さん!」
職員の呼びかけで目が覚める。
夕日の差し込む旧本館で私はうたたねをしていたようだった。
「立ったまま寝るなんて器用な芸当よく出来ますね」
「すいません、ご心配おかけして」
「職員一同の心臓止めにかかるの止めてくれませんか?あなたはここの神様なんですから」
「ここの神様は宿老でしょう」
「そう言う意味じゃなくて……」
茶化すようにそう告げてみるとまだ若い職員は呆れていた。
5倍は生きているはずの存在である私がこんな子供のようなふるまいをするなんてきっとこの目の前の青年からすれば予想外なんだろう。
「なんだか今日は寝すぎたのか眠いですねえ」
「じゃあもう寝てください」
「そうさせていただきますかね、ご迷惑をおかけしました」
今日はずっと釜石の夢ばかり見ている。
家に帰って寝たらまた釜石の夢を見れるのだろうか。
(それならば悪くはない、なんて)
子どもみたいなことを考えてしまった。
ずっと私の唯一だった人は覚えているだろうか?
私に贈ってくれたあの万年筆の事を。

****

1902年(明治35年)官営製鉄所は僅か1年で官営製鉄所は操業停止に追い込まれた。
原因は想定よりも少量しか銑鉄を生産できなかったことによる赤字で、その原因追及のため調査委員会が設置されて周囲はにわかに騒がしくなった。
慣れ親しんでいた外国人技師たちの解雇や新たにコークス炉を増設することになったことに起因する身体の変化は私の精神には苦しいものだった。
無理やり内臓を素手で弄られるような痛みを紛らわすのは、釜石との手紙のやり取りだけだった。
まだ未成熟の私の体にはそれは激痛であり、それにただ耐え忍ぶことしかできなかった。
その苦労が報われるのは3年後の事だった。

1904年(明治37年)2月。
「……官営製鉄所再開?」
「ああ、この度日本は露西亜に宣戦布告をしたのは知っているだろう?」
「新聞で読みました」
「この戦争で勝つには鉄が必要だ、コークス炉も完成して安定した鉄の生産が可能になった事を踏まえて4月にもう一度火を入れる」
その言葉に私の心は高揚した。
ようやく私はこの場所の付喪神としての働きが出来るのだ!鉄を生み、この国の柱となれる!自らの生まれた理由を果たす以上の喜びはそうそうない、
この喜びを釜石に届けたかった。
手紙越しに私をずっと案じてくれた師の姿がよみがえる。
部屋を出て私は早速手紙を書いた。
伝えたいことが便箋にあふれ出て来て、それを無理やり糊で止めて手紙を出した。
返事はすぐに届いた。
『おめでとう』
たったそれだけの一筆箋とお祝いにと添えられた薄い桜色の万年筆を私はぎゅっと抱きしめた。


(この万年筆は大切に使おう)

胸の奥の密やかな決意と共に私は冬の終わりの空を見上げた。



-終-

八幡過去編完結です。
そのうち神戸の過去編を書きたいと思ってるのですが、いったいいつ書けるのかは謎です。

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ナイトウォーカー5

元々釜石の帰郷は出銑が終わったらという事になっていて、出銑に失敗しようが何だろうがどちらにせよ帰る日は決まっていた。
出銑が失敗に終わり職員一同が上からの対応に追われていたので釜石から来た技術者らも帰郷の一度日付けを伸ばして対応に当たったが、どちらにせよ一度帰らねばならないことは明確だった。
釜石の帰郷が近づくにつれ、幼い私は壁に当たり散らすようにガンガンとぶつけていた。
(そう言えばあの壁のへこみはこの頃に作ったものでしたっけ)
ストレスをためるとすぐ壁に当たるものだから煉瓦がだんだんすり減ってへこみになったんだ、と思い出して苦笑いすらする。
それでも他人に危害を加えなかったのは付喪神として自分よりも弱いものに手を出すのは卑怯だという矜持だった。
釜石の帰郷前夜の真夜中、私はその日は壁をガリガリと削って八つ当たっていた。
「……八幡?」
月の灯りだけが差し込む私のベッドの横で寝間着一枚の釜石が声をかけてきた。
「眠れんのか?」
どう答えたらいいのかも分からない幼い私はぷいっと視線をそらすので、釜石は「壁の事は怒らんから正直に言うてみぃ」と付け足した。
削りかすの落ちたベッドに腰かけて目線を合わせた釜石に「ほんとうに?」と尋ねれば「おう」と返してくる。
少し思案をした後「……ここのところ、眠れないです」と告げると「やっぱりか」と呟いた。
後になって釜石にこの時の事を聞いたことがあるが、釜石は気づいていたのだけれど元から遅寝だったので眠くないのか眠れないのかの判断がつかなかったと言っていた。
「散歩するか」
「はい?」
「安眠の妖精を探しに行くんじゃ。ええっと、何と言うたか……」
「ウィリー・ウィンキーですか?」
「そいつじゃ」

****

初春の八幡の村に出て、何のあてもなく歩き出す。
ぽっかりと浮かぶ満月は私達二人きりの夜道を明るく照らしてくれる。
釜石とつないだ手の熱だけが私に伝わってくるぬくもりだった。
「釜石、」
「うん?」
それは民家の軒先に咲く桜の木だった。
黒塗りの塀を超えるほどの大きな桜の樹は月明かりの下で幽玄に咲き誇り、満月の中で輝くようだった。
「……この時期でも咲いてるのか」
「釜石のところではもっと遅いんですか」
「ほうじゃな、だいたい4月の終わりか5月の頭ってところか」
「じゃあ、そっちで桜が咲いたら教えてください」
「そんくらいならいくらでも」


次へ

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八幡さんも楽したい

それはそれは深い溜息を一つ吐いて新聞を閉じる。
「朝からえらい深い溜息吐きはりますね、八幡さん」
「堺……あなたいっぺん殴りたいと思ったことはありますか?」
「ポスコさんの話ですか?」
「あんな恩知らずにさん付けしないでくださいヘドが出る」
しまった、韓国最大の製鉄企業に対する八幡の恨みの深さを忘れていた。
あの辺の因縁はあまり把握していないので深入りしないようにしているが、あの一年中寝惚けているような広畑が丑の刻参りをしてでも息の根を止めようとした相手なので恨みの買われ方がえぐい。
「じゃあ誰殴りたいんです?」
「中国ですよ、本当に鉄鋼減産する気あるんですかね」
その言葉になるほどと溜息を吐く。
不況に見舞われる鉄鋼業界ではその原因となっている中国による鉄鋼減産を望み続けてきた。
あの国ではあまたの製鉄所があり一度は不景気で高炉を止めたものの、今年に入ってから中国国内の景気が良くなってきたため再び生産を再開するゾンビ製鉄所が続出。
その鉄は中国国内にとどまらず世界の市場に放出されて世界の鉄の値段を下げ続けている。
「止めろ止めろとは言うても急に止まるものやないですからねえ」
「こっちは殴りたくて仕方ないですけどね」
「……高炉持ちの年長者やなくて良かった」
「今何か言いました?」
八幡に黙ってお茶を差し出せばずずっと勢いよく啜っていった。




堺の家に泊まりに来た八幡の話。
八幡とポスコの因縁はいずれ書きたい(書く機会があるのかは謎)

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拝啓、金子商店様。

拝啓、金子商店様。
梅雨入り前の暑さ厳しいこの季節をいかがお過ごしでしょうか。
私と加古川は今日も元気に過ごしており、加古川も少し背が伸びたような気がします。そのうち追い抜かされそうで怖いです。
最近はもっぱらこの身長の事で悩んでいます。
ここのところ来年11月の高炉停止で身長が縮むのではないかと戦々恐々としているせいで、洋服を買い足すときどうしても来年秋以降も着れるのかと思っては服を諦める日が続きます。
良い服を買ってもすぐ着れなくなったらもったいないですからね。
加古川は私の洋服のセンスは派手だから遠慮すると言って譲る事が出来ず、さてどうしようかと洋服箪笥の前で頭を抱える日々です。
もしあなたがいてくれたら私の洋服を代わりに着てくれたでしょうか?
そんなことをぼんやりと考える日々です。
それでは、またいずれ手紙を出します。
あなたの妹たる神戸製鋼より愛を込めて。

書き終えた手紙を封筒にしまい込み、軽くため息を吐く。
どうでもいい日々の事をこうして行き先の無い手紙を書いてはお菓子の缶に投げ込むという不毛なことをもう何度も繰り返している。
「神戸姉様」
「加古川、どうかしましたか?」
「おやつ時ですからお茶にしませんか?スコーンを焼いたんです」
「そうね」
私の可愛い年の離れた妹である加古川は山野草のごとき素朴な少女で、口の悪い小倉なんかは『何度見ても血のつながった姉妹とは思えんたい』と言うくらいだ。
木皿に盛られた出来立てのスコーンとイチゴジャムにクロテッドクリーム。そしてストレートティー。
「また少し背が伸びましたこと?」
「そうかもしれません」
「大きなこと自体は悪い事ではないわ、今のあなたは真岡や高砂に並ぶうちの主力だもの」
そう言うと気恥ずかしそうに軽く視線を逸らす。
(兄弟姉妹と言うのは本当にいいものだわ)
今度は加古川の話を手紙に書こうか、なんて思うのだった。





金子商店と神戸の話はそのうち書きます。あと加古川ちゃんちゃんと書くの初めてですね。

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