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コーギーとお昼寝

市町村・鉄道・企業・スポーツチーム擬人化よみものサイト、オンラインブクマはご遠慮ください。

手放せないものはきっと、

ある5月の晴れた日のこと。
「いわきさんとこの水族館に行きたい」
「・・・・・・あそこか」
「うん、行きたいじゃなくて行こう」
「めんどくさくないか」
「そういう日もあるよ」

手放せないものものはきっと、

いわきさんちの名所のひとつとして挙げられる某水族館は平日というだけあって結構空いていた。
「大きい水槽だね」
「んな大きいから大水槽なのに小さかったら詐欺だろ」
「それもそっか」
水槽から暗い室内に差し込む青い光にた照らされて、こっそりと手を繋いでみる。
だってさ、こんなロマンチックな空間にいるんだしちょっとぐらい恋人気分を味わったって詐欺にはならないはずだ。
その手をいわきさんは拒まなかった。
ただただ無言で避難先から帰ってきた生き物たちを見ていた。

*                 *

「もしかしてさ、ここに来るの久しぶりだった?」
「・・・・・・だいぶ久しぶりだったな」
「やっぱり」
あの大水槽にいたとき、俺はかすかに聞こえたのだ。
動物たちにお帰りという声が。
この街への縁を抱くものはたとえなんであっても手放せない、その優しさに俺は心底から惚れているのだから。










おわり
アクアマリンデート話でした。ホントもう俺の脳みそは・・・・。

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しょうゆとしょうゆ

「という訳で路線を作ってもらえねぇかい?」
「てつどうを?」
「あんただって千葉県だろう?常磐線と乗り入れできる路線を引くことで野田のしょうゆが日本にどれだけの意味をもたらすかぐらい分かってるじゃないか。」
こうして生まれたのが、俺こと千葉県営鉄道のちの東武野田線だった。

しょうゆとしょうゆ

柏駅
「じょーばん」
「・・・・・・何だ県営」
「ねむい」
「お前常に眠いとか何とかいってないか」
「きっと宇宙人的なものの呪いだよ」
「そうか誰か医者呼んで来い」
「水戸納豆食べたい」
「大豆つながりか」
「日本食つながりだよ」
じょーばんは伊達にお役人やってないというかそこそこまじめだった。
柏で会っても結構放置されていたがそこそこ面白かった。
周り(といいうか柏)はからかってるように見えるらしいが別にからかうつもりは無い。不思議だ。
「みとさん元気?」
「うちの兄貴なら元気だが」
「この間もらった酢の物おいしかった」
「そうか」
「今度から俺北総鉄道になるんだって」
「へー・・・・・ってそれすごく大切なことじゃねぇか?!」
「今思い出した」
「遅ぇわ!」
「という訳で北総鉄道でよろしくね」

*               *

北総鉄道になってから俺は押上によく行くようになった。
「あ、北総これねーちゃんがよろしくって☆」
「はい」
「ところで北総って延伸する気ある?」
「別にどっちでも」
「んじゃー、上司が春日部まで延伸しようぜって言ってるから総武鉄道に名前変えて春日部まで行かない?」
「はい」

柏駅
「・・・・でまた改名」
「京成と言いお前といいノリ軽いよな」
「名前変わってもしょうゆ運ぶのは変わらないから」

*              *

春日部駅
「なぁ、お国が鉄道会社整理すんべーって言うからうちにきねぇか?だるまやっから」
「いいよ」
「・・・・・・ノリ軽いな」
「じょーばんにも言われた」

柏駅
「で、また改め「お前ら名前変わりすぎだろ!」
「だって仕事変わらないし新鎌ヶ谷のけーせーさん忙しそうだしキッコーマンがそうしろって」
「・・・・・・ある意味ゆがみねぇな」





おわり





うちの野田線はこんな感じですよって話。
基本不思議ちゃんでキッコーマンに割りとなついてます。長いものには巻かれます。
お仕事はしてるけどやってることは適当。

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絆繋いで六角堂:後編

2011年、冬。
柱も組みあがったことを祝う棟上式の日。
「いわきさん、来てたんだ」
「いや、ちょっと様子が気になったのと東京に呼び出されたついでだ」
「棟上式終わっちゃったけど、様子見る?」
「いいのか」
「だいじょーぶだって、バレなきゃ」
「・・・・・・ならやめとく」

絆繋いで六角堂

年が明けて2012年4月、少し肌寒くとも晴れた日のことだった。
「映画、クランクインしたのか?」
「そうそう、映画のスタッフさんが昨日メールしてくれたんだよ」
去年の夏ごろから浮上した震災復興映画の計画は六角堂竣工式の次の日から本格始動した。
行政としては映画のほうにも結構力を入れていたこともあり、映画PRもしていた。
「うちのフラガールみたいに成功するといいが」
「ああー、確かにいわきさんところのフラガールは成功してたよねぇ。筑西のところの君がいた夏はいまいちよく分からないけど」
「吉本が一枚噛んでるからだろ」
「それもそうかもねぇ」
「竣工式には浮かれないんだな」
「当たり前でしょ、大津の市場が再開してもまだ風評被害があるし。六角堂再建は復興の第一歩、そうだと思わない?」
「・・・・・・それもそうか」
六角形だか八角形は中国で世界を現すという。
この小さな世界、六角堂復興は僕らの新たな始まりに過ぎないのだから。




おわり






おととい放映された六角堂再建のドキュメンタリー見ました!
とりあえず私の脳内は本当にいわきと北茨城大好きなんだなと思ったのですが、それ以上に「茨城県真壁市」に目玉が落ちそうなほど驚いたのですが、あれはテレ東さんの盛大なボケだよな?盛大なボケなんだよな?と思わず問いただしたくなりました。

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絆繋いで六角堂:前編

2011年3月は残酷な一ヶ月だった。
震災で家屋の倒壊、津波で家も流され、原発事故で地元野菜や鮮魚が売れなくなり、追い討ちをかけるようにもたらされた知らせに絶望した。
「五浦の六角堂流出?」
それは親からもたらされた大切なものだった。

絆繋いで六角堂

時をさかのぼること90年近く昔、明治の中ごろ。
東京にあった日本美術院が五浦に移転してきて、その時に岡倉天心が海のそばに建てたのが六角堂だった。
その数10年後に生まれたのが北茨城市、つまり自分だ。
六角堂は地域観光の目玉でもあり、僕が生まれたときから存在する五浦の象徴だった。
その六角堂流出は地域産業にも影響を与えるし、なにより朱色の六角堂の無い五浦というのは寂しい。
「六角堂再建は当たり前でしょう、あれはうちの持ち物ですし」
「ですよねー」
「いま学内のプロジェクトチームが計画を練っています、1年がかりになるでしょうが資料と募金を集めてやっていく他無いでしょう」
「茨大も大変だね・・・・・・・」
「地方公立大なんてそんなもんですよ」
24時間不機嫌そうに見える茨大(なんせ六角堂の所有者は茨大だからね)はやっぱり今日もいつもどおり不機嫌そうだった。

*                *

学内プロジェクトチームが考え出した計画を僕はじっと見守っていた。
「おい」
「あ、いわきさん!お疲れ様です」
「勿来の杉こっちで乾かしてるんだろ?様子見に来た」
「うん、海のほうでね。」
「・・・・・・ま、うちのもん使ってくれるのはうれしいけどな」
「でしょ?あと白河石と三州瓦とベンガラの調達も残ってるけどねー」
一通り連絡はできてるし、基本的には茨大主導の再建計画なのでこちらとしてはそう派手に動かないんだけれど。
しかし不思議なことにほとんど茨城とつながりのある市町村のものなのは不思議だ。
白河石の白河市は白河結城家の城下町だし、ベンガラを提供してくれた高梁市は筑西の友好都市だし。
「きたにぃ?」
「あ、桜川!」
「知り合いか?」
「六角堂再建のときに明治の頃には石灯籠があったらしいから石灯籠も建てようってことになってね、桜川に依頼することにしたんだよ」
桜川には真壁の頃からの石材加工技術がある、そこを踏まえてのチョイスだったらしい。
「きたにぃ、このひとがいわきさんなのですか?」
「そうだよ~、かっこいいでしょー」
「さくらがわなのです!」
「おお・・・・・」
「ま、今回はよろしくね」
「しーくんこそよろしくなのですよ!」
「そうだ、ふたりにならちょっと話してもいいかな」
六角堂再建計画と同時進行のある計画の話をすると、なるほどとわらった。









つづく

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姉と弟の話

1978年4月。
「・・・・・・・経営再建に加わらせてくれないか」
ねーちゃんが突然帰ってきた。

姉と弟の話

1970年ごろは最悪な10年だった。
国鉄や当時千葉に進出してきたばかりの営団とお客さんを取り合い、お金が足りなくなって東北の開発にお金をつぎ込んだ。
成田空港開港に併せた新線もお上に拒否されて、中途半端なところまでしか伸ばせずちょっとイライラしてたら成田空港反対派に車両が放火された。
そんなときにオイルショックで投資していた東北の土地価格が下落して、ついにはいつもお世話になっている株主に出す配当金が出せなくなった。
「なんで、いま帰ってきたの」
「・・・・・・お前が苦しんでるから。
ずっと、あたしはいつか来るかもしれない危機のために勉強してたんだ。」
「ならあの時何で消えたの」
「あの時は!すべてどうでも良くなってたんだ、金町もお前も・・・・・・。だけど、戦争の時あたしアメリカにいたんだけどその時に思ったんだよ。
『あたしはいずれ自分が生まれた場所である京成電鉄のためにすべてを費やすべきだ』って、だから戦争が終わってからずっとあんたが苦しい時に助けてあげられるように勉強してたんだ。
そして77年度決算を見て思ったんだよ。いまあたしはここへ戻るべきだって、戻ってあんたを救うべきだって」
じっとねーちゃんがオレを見た。
それは嘘一つ無い目だってすぐに分かった自分を少し恨んだ。
オレとねーちゃんは二人で一つだったから、どう思っているのか分かってしまうんだ。
唯一無二の姉弟だから。
「・・・・・わかった」

*                  *

ねーちゃんは元運輸省の官僚の佐藤さんを相談役の村田さんと一緒に口説き落とし、佐藤さんを社長にした。
「あの人は信頼に足るよ、厳しい人ではあるけど大丈夫だ。」
新社長就任式の日、オレにそういった。
実際、この新社長は厳しかった。
谷津遊園の閉園、大森と上野の京成百貨店経営譲渡、民営鉄道協会離脱・・・・。
いろんなものを切り捨てていく人ではあったが、そのたびにねーちゃんは「社長殴るならあの人を呼んだうちの一人であるあたしを代わりに殴れ」と言い放った。
「ねーちゃんは上手く行くと思うの」
「いってるよ、来年・・・・84年は債務超過離脱できるはずだよ」
そしてその言葉は事実となった。



「89年今年度上半期累積赤字解消・・・・・・うん、これでしばらくは安心できるな」
ゴロッと寝そべって、大きく深呼吸した。
「ねーちゃんどうすんの?」
「金町がさ、仕事を手伝って欲しいって言うから金町や本社の手伝いしてるよ。この数年であたしは全エネルギー使い切った気すらするから」
「押上駅の仕事やったりはしないんだね」
「お前が本当に死にそうになった時にやるよ。」
ならしないでくれてもいいやとつぶやいてオレも寝転がった。










約15年分の話を1本にまとめました、無茶すぎです。
でも京成姉がかけて満足です。

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