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コーギーとお昼寝

市町村・鉄道・企業・スポーツチーム擬人化よみものサイト、オンラインブクマはご遠慮ください。

夏休み、一人旅。

夏の山道は気温が低い。
自転車を漕ぐ足も今日は滑らかに動いてくれる。
大子から敦賀まで、水戸天狗党の痕跡をなぞる一人旅も終盤戦が近い。
この峠を超えると、福井県に入る。

夏休み、一人旅。

3か月前、水戸市内某所。
「という訳で、この夏は一人旅に出ます!」
そう告げると日立が飲んでいた茶を吹いた。
ひたちなかや笠間まで驚いたような顔をしてくるし、随分な反応である。
「……どういう風の吹きまわしだよ」
「いや、せっかく新しい自転車買ったしこの夏は新しいことにチャレンジしようと思って!」
「水戸くん無理しなくていいんだよ……?」
「してないしてない、まだ時間はたっぷりあるし水戸から内原のイオンまで自転車で往復できるぐらいの体力つければ大丈夫かなって。帰りはさすがに電車とバスで帰るけどさ」
みんなリアクションは微妙だ。
全員の心が懐疑と心配に満ちているのが分かる。
「2019年のいばらき国体に向けて体を鍛えるべきだと思って!」
「それ2007年のねんりんピックの時にも同じこと言ってたけどそんなに体型変わってないよな?」
「あの時はこれをやる!って決めずにただ漫然と目標だけ掲げたのが失敗の要因、今回は自転車乗りとして鍛え直して御三家として称えられていたあの頃のようにしなやかな筋肉をつけるんだよ!」
「……自転車にモーターつけるなら俺がやるから」
「日立、別にそう言うのいいから」
……とまあ、散々なことを言われたものの今回は意外に上手く行った。
週末に内原のイオンや大洗の海まで自転車を漕いでみたり、県内視察と銘打って近隣のサイクリングロードを走破してみたりして体力も結構ついたと思うのだ。
で、こうしてお盆の前後に休みを取って自転車を漕いでみたわけである。
元治元年(1864年)11月1日、武田耕雲斎を筆頭とした水戸天狗党は京を目指して散逸していた仲間たちが集合していた大子から出発していく。
下野・上野を抜けて中山道を通って京都を目指す旅だ。
途中の下仁田や和田峠で交戦したり、伊那谷と木曽谷を超えをし、彼らは琵琶湖畔を通らず越前経由の上洛を決定する。
今回は本巣市の中心部から国道157号線をなぞるような形で北上することにしたけれど、実際は峠越えの山道を抜けるルートだ。
ずっと自転車を漕いできたおかげで足もだいぶ疲れてきたけれど、まだもう少し走れる。
福井県大野市の看板を横目に通り過ぎていく。
(ああ、なんだか遠くまで来たんだなあ)
目的地までは、もう少しだ。






大野で水戸天狗党の足跡をなぞるイベントが行われたと聞いて思い付いた話。

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おっぱいのはなし

Twitterで呟いていたやつのまとめ

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網走の夜と海

長い間そこに在り続ければ変わる事や消えていくこともあるという事実を、誰が否定できよう。
「こんな海辺で晩酌かいな、サントリーサンゴリアス」
「……ええ」
神戸の名を背負うその人からは珍しく煙草の匂いがした。
煙草が健康に良いという常識はいつの間にか消えさり、今やスポーツマンは喫煙をしなくなった。
しかし戦前生まれの彼だけは時折こうして煙草を嗜んでいるようであった。
「響か、俺にも少し分けてくれひんか?」
「どうぞ」
自社の誇るジャパニーズウィスキーの最高峰とも称されるそれを小さなグラスにストレートで出してやれば、彼は一口それを口に含む。
「美味い」
「そりゃあ、ジャパニーズウィスキーの最高峰ですから」
自らの親と呼ぶべき存在の生み出した至高の酒だ、不味いはずがない。
「で、ご用件は?」
「ただの夕涼み、どっかの赤い鷲みたいに極端に嫌う奴もおるからいまや気軽に煙草も呑めんしなあ」
呑気にそう呟きながらふうっと煙を吐きだした。
「ああ……でもあいつは悪い奴じゃないんですよ?先輩のことをよく敬うし頭も悪くない」
「でも隙あらば胸筋や腹筋揉みたがるのはアカンやろ」
同じ府中の後輩へのフォローが台無しである。
あの後輩の悪癖だけは同じ府中の青い狼と共通の悩みであった。
「……今シーズン、誰に昇格してきて欲しい?」
「下なんか見てるとそのうち自分が落ちますよ」
こんな脈絡のない会話も、たぶん8月が来るまでのことなのだろう。




サンゴリさんとスティーラーズさん。特に内容はない。

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かなしみのくつ

夜の東尋坊は潮騒の音しかしない。
それゆえ投身自殺の名所などと呼ばれているが、最近はなんぞのゲームの影響で夜でも人気を感じることが増えた。
これで汚名を晴らせればありがたい限りなのだけれどいつもそう上手くいくものでもない。

目の前には、革靴がひとつ揃えられた状態で崖の縁に置かれている。

(……ああ、間に合わんかったのか)
大きさからして女性だろうか、デザインも革で出来た花があしらわれた可愛らしいものだ。
持ってきていたビニール袋に靴をしまっておく。カードには拾った場所も書いておく。
せめて、この海の底で安らかであってくれと手を合わせて。



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餅と兄弟

「兄弟、餅食うか?」
ビニール袋片手に気仙沼までやって来た兄さんは珍しく手土産付きだった。
「正月でもないのに?」
「一関の方だと隙あらば餅つくからな……」
「ああ、あっちは餅文化なんだっけ。お茶でも入れるよ」
「冷たい奴で頼む」
冷蔵庫から氷と一緒に冷たい水出し緑茶を取り出すと、ビニール袋から次から次へと小さなパックに入った餅が次から次へと出てくる。
小ぶりのパックが総勢10個、確かにこれは一人で食べるには多すぎる。
「多くない?」
「おばちゃんに持たされた」
「ああ……」
「残ったら南リアスにやるから好きなの選んでいいぞ」
「じゃあずんだとみたらし貰うね。兄さんは?」
「俺は向こうで食わされたからいい」
セロテープでとめられたパックを開くと、ずんだ餅の鮮やかな緑が食欲をそそる。
冷たい緑茶が夏の身体を程よく冷ましてくれて気持がいい。
「じゃ、いただきます」
「おう」
つきたてのお餅は箸で掴んでも分かるぐらいに柔らかく、美味しそうだ。
一口ほうばれば仙台でもお馴染みのあの味である。
兄さんは冷たい緑茶を飲みながらため込んでいた書類(ここのところ一関にずっといたせいだ)を読み始めていた。
元々僕が生まれる前の南三陸の足であった路線の時代を想像させる真剣な眼差しだ。
(……昔はいっつもこういう顔してたのかなあ)
三陸が陸の孤島であった時代、政治によって歪められた奇怪な線形に振り回されながら一人で頑張っていた時代。
「兄さん、」
「うん?」
「……緑茶のお代わり要る?」
兄さんは手元のグラスを覗いてから、残りを一気に飲み干して「お代わりくれ」と答えた。



おまけ:盛駅にて
大船渡線「南リアス、餅食うか!」
南リアス線「たべる!」
日頃市線・赤崎線「「餅と聞いて!」」
大船渡線「お前らいたのかよ!」
南リアス「ふたりがきたらぜんぶたべちゃうでしょ!かえって!」
この後南リアスと日頃市・赤崎による餅争奪戦が繰り広げられたという……。


大船渡線と気仙沼線。
某くもじいの番組に大船渡線が登場した記念に。

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