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コーギーとお昼寝

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神様は恋に落ちない:1

1929年、戦後恐慌真っ盛りの薄暗い時代だった。
戦争の終結によって国内の鉄鋼の需要が落ち着き、製鐵合同の風が吹き始めていた。
4月も終わりの頃になるとこの釜石の町にも桜が芽吹いて春の足音が響き渡るようになる。
ごめんくださいな、と小さく呟いて料亭の中に入る。
製鉄所から一歩外に出れば全く自分は気づかれない存在なのだとこういう時はつくづく痛感する。まあ気づかれたところで何をどう言えばいいのかも悩ましいが。
あの頃、世間様の暗い時代の流れに精神は疲れていた。
ふとした瞬間に自分の作ったものが人を殺めるために使われていることが脳裏をよぎって、憂鬱な気分を酒で押し込めて寝ることもあった。
お国のために鉄を作るという目的意識の強い八幡はきっとそういう事は考えなかっただろうしきっとこの心理は理解されないだろう。
今思えば自分はうつ状態だったと分かるのだが、当時はそんな風に自己分析をする余裕もない。
このうつ状態で、戦後恐慌の嵐が吹き荒れるなかを走りながら製鐵合同の流れに向き合っていかねばならないというのは中々に疲弊することだった。
とにかく少しでも気分を晴らそうと、こうして夜の街の明るさに引き寄せられるようにこっそりと料亭の中に紛れ込んでは芸者の芸を眺めて暇をつぶした。
釜石は当時口減らしで売られてきた東北各地の娘たちが芸者として活躍しており、釜石の夜をにぎわせていた。
「あの、どうかなさいましたか?」
ふいに声を掛けられて驚いたように見てみれば、若い娘がいた。
歳は12,3と言ったところだろうか。黒くつややかな瞳に桃割れの黒髪と桜色の振袖。
まだ雰囲気や言葉遣いにあどけなさが残っているし振袖も丈が直されたものだから新米の芸者なのだろう。
製鉄所の中ならばまだしも外で声をかけられることは初めての事だった。
「……見えるのか」
「え?」
「たま菊、何してんだい?」
「あ、お揺姐さん。あそこのお客様を……」
「お客様なんていないじゃないか、そんな事してないで手伝っておくれよ」
たま菊と呼ばれた娘は困惑気味にこちらを見ながらも軽く会釈をして去っていく。
その背中をぼんやりと眺めながら何かが変わる気配がしていた。


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