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コーギーとお昼寝

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姉と弟の話

1978年4月。
「・・・・・・・経営再建に加わらせてくれないか」
ねーちゃんが突然帰ってきた。

姉と弟の話

1970年ごろは最悪な10年だった。
国鉄や当時千葉に進出してきたばかりの営団とお客さんを取り合い、お金が足りなくなって東北の開発にお金をつぎ込んだ。
成田空港開港に併せた新線もお上に拒否されて、中途半端なところまでしか伸ばせずちょっとイライラしてたら成田空港反対派に車両が放火された。
そんなときにオイルショックで投資していた東北の土地価格が下落して、ついにはいつもお世話になっている株主に出す配当金が出せなくなった。
「なんで、いま帰ってきたの」
「・・・・・・お前が苦しんでるから。
ずっと、あたしはいつか来るかもしれない危機のために勉強してたんだ。」
「ならあの時何で消えたの」
「あの時は!すべてどうでも良くなってたんだ、金町もお前も・・・・・・。だけど、戦争の時あたしアメリカにいたんだけどその時に思ったんだよ。
『あたしはいずれ自分が生まれた場所である京成電鉄のためにすべてを費やすべきだ』って、だから戦争が終わってからずっとあんたが苦しい時に助けてあげられるように勉強してたんだ。
そして77年度決算を見て思ったんだよ。いまあたしはここへ戻るべきだって、戻ってあんたを救うべきだって」
じっとねーちゃんがオレを見た。
それは嘘一つ無い目だってすぐに分かった自分を少し恨んだ。
オレとねーちゃんは二人で一つだったから、どう思っているのか分かってしまうんだ。
唯一無二の姉弟だから。
「・・・・・わかった」

*                  *

ねーちゃんは元運輸省の官僚の佐藤さんを相談役の村田さんと一緒に口説き落とし、佐藤さんを社長にした。
「あの人は信頼に足るよ、厳しい人ではあるけど大丈夫だ。」
新社長就任式の日、オレにそういった。
実際、この新社長は厳しかった。
谷津遊園の閉園、大森と上野の京成百貨店経営譲渡、民営鉄道協会離脱・・・・。
いろんなものを切り捨てていく人ではあったが、そのたびにねーちゃんは「社長殴るならあの人を呼んだうちの一人であるあたしを代わりに殴れ」と言い放った。
「ねーちゃんは上手く行くと思うの」
「いってるよ、来年・・・・84年は債務超過離脱できるはずだよ」
そしてその言葉は事実となった。



「89年今年度上半期累積赤字解消・・・・・・うん、これでしばらくは安心できるな」
ゴロッと寝そべって、大きく深呼吸した。
「ねーちゃんどうすんの?」
「金町がさ、仕事を手伝って欲しいって言うから金町や本社の手伝いしてるよ。この数年であたしは全エネルギー使い切った気すらするから」
「押上駅の仕事やったりはしないんだね」
「お前が本当に死にそうになった時にやるよ。」
ならしないでくれてもいいやとつぶやいてオレも寝転がった。










約15年分の話を1本にまとめました、無茶すぎです。
でも京成姉がかけて満足です。

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