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コーギーとお昼寝

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絆繋いで六角堂:前編

2011年3月は残酷な一ヶ月だった。
震災で家屋の倒壊、津波で家も流され、原発事故で地元野菜や鮮魚が売れなくなり、追い討ちをかけるようにもたらされた知らせに絶望した。
「五浦の六角堂流出?」
それは親からもたらされた大切なものだった。

絆繋いで六角堂

時をさかのぼること90年近く昔、明治の中ごろ。
東京にあった日本美術院が五浦に移転してきて、その時に岡倉天心が海のそばに建てたのが六角堂だった。
その数10年後に生まれたのが北茨城市、つまり自分だ。
六角堂は地域観光の目玉でもあり、僕が生まれたときから存在する五浦の象徴だった。
その六角堂流出は地域産業にも影響を与えるし、なにより朱色の六角堂の無い五浦というのは寂しい。
「六角堂再建は当たり前でしょう、あれはうちの持ち物ですし」
「ですよねー」
「いま学内のプロジェクトチームが計画を練っています、1年がかりになるでしょうが資料と募金を集めてやっていく他無いでしょう」
「茨大も大変だね・・・・・・・」
「地方公立大なんてそんなもんですよ」
24時間不機嫌そうに見える茨大(なんせ六角堂の所有者は茨大だからね)はやっぱり今日もいつもどおり不機嫌そうだった。

*                *

学内プロジェクトチームが考え出した計画を僕はじっと見守っていた。
「おい」
「あ、いわきさん!お疲れ様です」
「勿来の杉こっちで乾かしてるんだろ?様子見に来た」
「うん、海のほうでね。」
「・・・・・・ま、うちのもん使ってくれるのはうれしいけどな」
「でしょ?あと白河石と三州瓦とベンガラの調達も残ってるけどねー」
一通り連絡はできてるし、基本的には茨大主導の再建計画なのでこちらとしてはそう派手に動かないんだけれど。
しかし不思議なことにほとんど茨城とつながりのある市町村のものなのは不思議だ。
白河石の白河市は白河結城家の城下町だし、ベンガラを提供してくれた高梁市は筑西の友好都市だし。
「きたにぃ?」
「あ、桜川!」
「知り合いか?」
「六角堂再建のときに明治の頃には石灯籠があったらしいから石灯籠も建てようってことになってね、桜川に依頼することにしたんだよ」
桜川には真壁の頃からの石材加工技術がある、そこを踏まえてのチョイスだったらしい。
「きたにぃ、このひとがいわきさんなのですか?」
「そうだよ~、かっこいいでしょー」
「さくらがわなのです!」
「おお・・・・・」
「ま、今回はよろしくね」
「しーくんこそよろしくなのですよ!」
「そうだ、ふたりにならちょっと話してもいいかな」
六角堂再建計画と同時進行のある計画の話をすると、なるほどとわらった。









つづく

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