忍者ブログ

コーギーとお昼寝

市町村・鉄道・企業・スポーツチーム擬人化よみものサイト、オンラインブクマはご遠慮ください。

しょうゆとしょうゆ

「という訳で路線を作ってもらえねぇかい?」
「てつどうを?」
「あんただって千葉県だろう?常磐線と乗り入れできる路線を引くことで野田のしょうゆが日本にどれだけの意味をもたらすかぐらい分かってるじゃないか。」
こうして生まれたのが、俺こと千葉県営鉄道のちの東武野田線だった。

しょうゆとしょうゆ

柏駅
「じょーばん」
「・・・・・・何だ県営」
「ねむい」
「お前常に眠いとか何とかいってないか」
「きっと宇宙人的なものの呪いだよ」
「そうか誰か医者呼んで来い」
「水戸納豆食べたい」
「大豆つながりか」
「日本食つながりだよ」
じょーばんは伊達にお役人やってないというかそこそこまじめだった。
柏で会っても結構放置されていたがそこそこ面白かった。
周り(といいうか柏)はからかってるように見えるらしいが別にからかうつもりは無い。不思議だ。
「みとさん元気?」
「うちの兄貴なら元気だが」
「この間もらった酢の物おいしかった」
「そうか」
「今度から俺北総鉄道になるんだって」
「へー・・・・・ってそれすごく大切なことじゃねぇか?!」
「今思い出した」
「遅ぇわ!」
「という訳で北総鉄道でよろしくね」

*               *

北総鉄道になってから俺は押上によく行くようになった。
「あ、北総これねーちゃんがよろしくって☆」
「はい」
「ところで北総って延伸する気ある?」
「別にどっちでも」
「んじゃー、上司が春日部まで延伸しようぜって言ってるから総武鉄道に名前変えて春日部まで行かない?」
「はい」

柏駅
「・・・・でまた改名」
「京成と言いお前といいノリ軽いよな」
「名前変わってもしょうゆ運ぶのは変わらないから」

*              *

春日部駅
「なぁ、お国が鉄道会社整理すんべーって言うからうちにきねぇか?だるまやっから」
「いいよ」
「・・・・・・ノリ軽いな」
「じょーばんにも言われた」

柏駅
「で、また改め「お前ら名前変わりすぎだろ!」
「だって仕事変わらないし新鎌ヶ谷のけーせーさん忙しそうだしキッコーマンがそうしろって」
「・・・・・・ある意味ゆがみねぇな」





おわり





うちの野田線はこんな感じですよって話。
基本不思議ちゃんでキッコーマンに割りとなついてます。長いものには巻かれます。
お仕事はしてるけどやってることは適当。

拍手

PR

姉と弟の話

1978年4月。
「・・・・・・・経営再建に加わらせてくれないか」
ねーちゃんが突然帰ってきた。

姉と弟の話

1970年ごろは最悪な10年だった。
国鉄や当時千葉に進出してきたばかりの営団とお客さんを取り合い、お金が足りなくなって東北の開発にお金をつぎ込んだ。
成田空港開港に併せた新線もお上に拒否されて、中途半端なところまでしか伸ばせずちょっとイライラしてたら成田空港反対派に車両が放火された。
そんなときにオイルショックで投資していた東北の土地価格が下落して、ついにはいつもお世話になっている株主に出す配当金が出せなくなった。
「なんで、いま帰ってきたの」
「・・・・・・お前が苦しんでるから。
ずっと、あたしはいつか来るかもしれない危機のために勉強してたんだ。」
「ならあの時何で消えたの」
「あの時は!すべてどうでも良くなってたんだ、金町もお前も・・・・・・。だけど、戦争の時あたしアメリカにいたんだけどその時に思ったんだよ。
『あたしはいずれ自分が生まれた場所である京成電鉄のためにすべてを費やすべきだ』って、だから戦争が終わってからずっとあんたが苦しい時に助けてあげられるように勉強してたんだ。
そして77年度決算を見て思ったんだよ。いまあたしはここへ戻るべきだって、戻ってあんたを救うべきだって」
じっとねーちゃんがオレを見た。
それは嘘一つ無い目だってすぐに分かった自分を少し恨んだ。
オレとねーちゃんは二人で一つだったから、どう思っているのか分かってしまうんだ。
唯一無二の姉弟だから。
「・・・・・わかった」

*                  *

ねーちゃんは元運輸省の官僚の佐藤さんを相談役の村田さんと一緒に口説き落とし、佐藤さんを社長にした。
「あの人は信頼に足るよ、厳しい人ではあるけど大丈夫だ。」
新社長就任式の日、オレにそういった。
実際、この新社長は厳しかった。
谷津遊園の閉園、大森と上野の京成百貨店経営譲渡、民営鉄道協会離脱・・・・。
いろんなものを切り捨てていく人ではあったが、そのたびにねーちゃんは「社長殴るならあの人を呼んだうちの一人であるあたしを代わりに殴れ」と言い放った。
「ねーちゃんは上手く行くと思うの」
「いってるよ、来年・・・・84年は債務超過離脱できるはずだよ」
そしてその言葉は事実となった。



「89年今年度上半期累積赤字解消・・・・・・うん、これでしばらくは安心できるな」
ゴロッと寝そべって、大きく深呼吸した。
「ねーちゃんどうすんの?」
「金町がさ、仕事を手伝って欲しいって言うから金町や本社の手伝いしてるよ。この数年であたしは全エネルギー使い切った気すらするから」
「押上駅の仕事やったりはしないんだね」
「お前が本当に死にそうになった時にやるよ。」
ならしないでくれてもいいやとつぶやいてオレも寝転がった。










約15年分の話を1本にまとめました、無茶すぎです。
でも京成姉がかけて満足です。

拍手

思い出話をしに

相変わらず人気の多い池袋駅の中で、ふいに声がかけられる。
「東上さん」
「・・・・・・龍ヶ崎」
「ご健勝で何よりです、『お姉さん』は元気ですか?」
「あ、いやー・・・・その」
ああそうだ、龍ヶ崎の中ではまだあの人は『姉』なんだ。
ふいに傍らから疑問の声が上がる。
「お姉さんなんていたっけ?」
「有楽町には関係ない」
「東上さん、良ければお茶でも飲みませんか?」
「はい」

思い出話をしに

姉さんはいつもお金が無くて大変そうだった。
女の顔をした男のあたしと、男の顔をした女の姉さん。
血のつながりは無いのに姉さんとあたしは良く似ていたから、あたしは彼女を姉さんと呼んだ。
いつだって二人でひとつだったあたしたちは別の鉄道会社へ吸収された。
あたしは東武へ、姉さんは堤さんという支援者とともに会社の再建へ。
『東武は姉さんを許す気あるの?』
『・・・・・一応はね、決めるのは根津さんだよ』
その言葉には一種の不信感もあったが、結局東武は姉さんを許した。
経営再建の道筋を立て、グループ企業を買収していくうちに姉さんは堤さんに気持ちが傾いていった。
服装が男物に変わり、言葉遣い、性格・・・・・少しづつ代わっていった。
姉さんが西武を名乗ったときにはあたしの知る姉さんはいなかった。

*               *

簡単なあらましの説明をすると、はあと感嘆のため息をついた龍ヶ崎が言う。
「・・・・・・・姉さんって西武池袋線だったんですか」
「まさか国鉄武蔵野だと思ってたとか言わないわよね」
「いえ、てっきりそうだと。彼女も武蔵野鉄道ですし」
「昔から思ってたけど龍ヶ崎って意外にあほよね」
「わるかったですね・・・・・・・だとしても、さびしくは無いんですか」
「淋しいけど、たまにあのころの姉さんが見えるからあたしはそれで十分」
「・・・・・・・覚えてますかね、ぼくのことを」
「あたしは一応覚えてたから覚えてるわよ」
まだ小さかったころ、あたしと姉さんは龍ヶ崎に遊んでもらっていた。
東京で東武関係の付き合いや仕事の合間に池袋で遊んでもらってはさまざまな話を聞いていた。
もう遠い記憶ではあるけれども。







東上と西武池袋が姉妹設定だしたくて・・・・。
ぜんぜん史実的には絡みないので東武つながりで絡めました、なんて無理やり。

拍手

かけら探しの行く末に

あまりに昔のことではあるけれど、急に懐かしい気分になってしまった。
(特急しもだての写真・・・・・)
白黒の少し色あせた写真には気動車。
キハ48002、のちに「特急しもだて」の名前を与えられて数年で消えた存在。
「・・・・・久しぶりに出かけてみようかな」
気まぐれに彼女がいた頃、筑波鉄道がいた頃の思い出を探しに出かけてみようと思い立ってバッグを片手に家を出た。

*        *

下館駅
「めずらしいのぉ」
「真岡さん、あなたこそ珍しいですね」
「わしはSL走らせる時以外はひまじゃからな」
「キハ48002、覚えてますか」
「なんとなくは」
そうだ、まだ覚えている人はいるのだ。
自分だけではない、自分と同じ時を生きて来た人は。
「なんか変な事聞きましたね」
「お前さんが不安ならしゃあない」
俺はその受け答えに苦笑いする。
ああ本当に、俺は自分が消えることへの不安ばかりが先走っているんだ。








おわり




拍手

墨東日和

それは戦前、筑波高速度を失ってすぐの一番淋しい時間を過ごしていた頃のこと。
ふいに堀切橋の方向からぷらぷらと歩く人影があった。
「・・・・ここは?」
「京成の堀切菖蒲園駅ですよ」
そしてベンチに座り、その人はつぶやく。
「隠れ住むにはよさそうな場所だ」
そう言った男はちょいちょいとこの場所にやってくるようになった。
男の名は永井壮吉、またの名を永井荷風という。

墨東日和

時間は少し飛んで5年後、俺は男と京成玉の井の駅にいた。
この少し前に廃駅となったこの場所は、個人的にはあまりいい気持ちになる場所ではなかったのだけれど男のせがみでここを訪れた。
「廃墟というものはこのようなものなのですね、成田さん」
「おそらくは」
この男の前では成田と名乗っていた自分は、草の生えた地面に亡き筑波高速度の面影を見ていたように思う。
筑波高速度にとって玉の井、いまの向島界隈は娼婦街だったので少々刺激的過ぎる場所だった。
だけれど『後学のために』と長生き出来ない運命に逆らうようにあっちこっちを二人で歩き回った。
モガの徘徊する新宿や門前町浅草、俺の生まれた場所である成田山、柴又の帝釈天、数え切れないほどに東京を歩き回った。
「・・・・・冷たい風が吹いてきましたね」
「ええ、そろそろ帰りましょう」

*       *

戦後、また堀切菖蒲園で男と再会した俺はあちらこちらに居を移す男に菅野の借家を紹介した。
そこが男の終の棲家となるのだけれど、俺はちょいちょいと男の下を訪れては酒を飲んだ。
「どこかいい桜の場所を知りませんか」
「それな国府台でしょう、あそこには菜の花も咲く」
「ほう」
老作家と酌み交わす酒は穏やかで、男と話すと穴の埋まる音がした。
時間も大きかったのだろうけれど。











ネタ元「鉄道ひとつばなし」収録「荷風と京成」
ここには非常に素晴らしいネタもあるのですがそれはおいおい。
とりあえず時期的に筑波高速度の件から立ち直りきれない京成さんネタがやりたかった。

拍手

バーコード

カウンター

忍者アナライズ