釜石製鉄所はその歴史の中で何度か廃止危機に見舞われ、そのたびに生き延びてきた。
「つくづくこうして生き延びてるのは奇跡よなあ」
「急にどうしたんです?」
「いや、合理化されずにこうして生き延びることができるってのは奇跡だなあと」
釜石が何を思ってそんなことを言うのかはよく分からないが、八幡からすれば釜石が死なないと言うのは当然のことのように思う。
なんせ日本の近代製鉄そのものである、冗談でも廃止などと言おうものなら色んな方面から何を言われるかわかったもんじゃない。
企業が製鉄所を廃止する苦労は呉で十分体験済みである。
「あなた不在で日本の鉄の歴史が紡げるとお思いで?」
「お前はちとわしを買い被り過ぎよな」
新日鐵誕生の時、廃止を避けるため目の前の相手のみならず周囲がいかに奮闘していたかは釜石本人も知るところだ。
「買い被りじゃありませんよ」
「そうか?」
「ええ。だいたいそれを言うなら私も廃止って言われかねませんし、たぶんあなたが死んだら私も一緒に死ぬことになりますよ」
それは冗談でもなんでもなく、八幡は常々心の隅でそう思っていた。
釜石に置いていかれるぐらいなら一緒に死んだほうがいい。
それに後継としては戸畑や君津がいるのだし、自分と釜石の不在でこの国の鉄鋼業が死ぬ事はない。
「……お前もちゃんと考えてたんだな」
「それなりには。だからあなたが死ぬ日はたぶん私も死ぬ日ですよ」
八幡の目に潜む150年ものの愛と執着を釜石は何事もなく受け入れる。
「死出の旅は2人ぼっちか」
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八幡と釜石。ギリBLではないと思う。