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コーギーとお昼寝

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君は相棒

昔昔、江戸徳川華やかりし頃。
土浦城下から離れた筑波山のふもとは広大な大豆畑だった。
「筑波ーぁ」
「・・・・・・ああ、つちゅうらさんでねぇか」
「醤油用の大豆の買い付け手伝って欲しいって頼まれたから」
「んだらば蔵にいっぺぇ詰めてあんで」

君は相棒

江戸時代、土浦には醤油やが軒を連ねていた。
土浦城の象徴である亀にちなみ、亀甲の模様を与えられた土浦の醤油は江戸では高い人気を誇っていてよその醤油やから『亀甲をつければ売れる』という風に思われていたほどだ。
その土浦の醤油を支えていたのが筑波の大豆畑だった。
大豆は水戸街道から枝分かれした筑波道を通って土浦へたどり着き、醤油となって、桜川から江戸へと旅立つ。
「今日は笠雲もないし、天気が持ちそうだね」
「んだなぁ」
ずっとこんな日々が続くように思っていたのだ。

***

昭和に入り、時代の荒波の中で土浦はかつての栄光を吸い取られていくようになった。
べットタウンとしての取手や牛久の発展と人口増加、そして何よりの打撃は筑波が消えたことだ。
「代替わり?」
「・・・・・東京さんが、おらぁにそう言ったんだぁ。『成長しきった今の体じゃ新しい『つくば』の発展を受け入れるのは無理だ』って」
「新しい『つくば』って研究都市構想のこと?」
つい先日、都心近郊の未開発地帯だったつくば市内に国が研究施設の集まった地域を作ることが決まった。
「んだ、だもんで代替わりすんだ」
そして筑波は消えた。
代わりに残されたつくばは研究都市として東京の影響を色濃く受け、筑波の面影は薄かった。
つくばの残した彼の発展と自分自身の発展をで願い、作られた道路は結果的に土浦を通り過ぎる町にしてしまって首を絞めた。






「つくばは、筑波に似てないよ」
NHKの甲子園のニュースを見ながら阿見が呟く。
「だよねぇ」
「でも、たまに面影がある」
「・・・・・・土浦は、筑波との思い出を引きずっているんだね」
阿見がそういうので、何となくそんな気がして頷いた。





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