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コーギーとお昼寝

市町村・鉄道・企業・スポーツチーム擬人化よみものサイト、オンラインブクマはご遠慮ください。

ナイトウォーカー1

夜の八幡の街をただ何の意味もなく歩くのが好きだ。
洞海湾をぐるりと回るルートは眠れないときの定番の散歩コースで、幼いころから繰り返し歩いていたはずの道を私は飽きることなく歩き回っていた。
真っ赤な若戸大橋のたもとまで来ればそこから折り返して帰ることもあれば、時には親切な車の運転手に乗せてもらって戸畑へ渡って歩いて八幡に戻ることもある。
きっとこうして夜の街を彷徨うのはあの人のせいなのだ。

『眠れんときは散歩するとええぞ、安眠の妖精を探しにな』

どうしても眠れない夜に私の手を掴んで一緒に歩いてくれた人の面影を、私はいつも歩きながら思い出す。
洞海湾を歩いてなぞりながらいつも思い出すのはあの人の黒い髪と瞳だけだった。

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夜の散歩を終えて自宅に帰り着いた時には日付はもう変わっていて、そのまま先月買い替えたばかりのシングルベッドに横たわる。
独身寮の一番日当たりのいい角部屋は付喪神が住むには貧相な部屋のように思えるが特段文句はないので何も言わないでいる。
眼を閉じてみればウィリー・ウィンキー―子どもの頃に教えられた眠りを呼ぶ妖精の名前だ―の足音が聞こえてくる。
おやすみなさいと呟けばそのまま体は眠りへと落ちていった。





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八幡の過去話です。たぶん7話くらいで完結予定。

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お茶の時間

たゆたうような眠りから目覚めた午後3時、下校ラッシュの時刻にはまだ早い盛駅は静けさに包まれていた。
それでも下校時刻になれば高校生たちの声が響き渡ってなかなか賑やかなことになるが、時刻が時刻なのでまだそんな気配はない。
「起きた?」
寝起きに温かな緑茶を差し出してきたのは気仙沼だ。
ほこほこと湯気を立てたそれをありがたく受け取って寝覚めの一杯とする。
「おう、ありがとうな。」
ずずっと茶を啜れば寝起きの身体に程よく沁みわたる。
気仙沼は茶を淹れるのが上手だ。
淹れ方を教えたのは自分であったはずなのに、駅員たちから『大船渡さんより気仙沼さんの方が上手いですよね』と評価を下されるくらいには気仙沼の淹れるお茶は美味しかった。
教えられるだけのものをひとつ残らずすべて丁寧に吸収しきった末に今のような立派な青年になったのだから成長と言うものは恐ろしいものだと思う。
「兄弟の淹れるお茶はいつも美味いよ」
「ありがとう」
湯呑を綺麗に空にしてから「ごちそうさん」と気仙沼に告げれば「どういたしまして」と返された。





なんてことない気仙沼と大船渡の話。不定期にこの2路線への萌えが再燃します。
いずれ乗りに行かなきゃなーとは持ってるのですが茨城から岩手は遠すぎるので絶賛放置中です。ごめん。

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明太子パスタとゴールデンウィーク

「♪ピリッとかーね○ーくめーんたいこーげーんきーもーりーもりー♪」
ゆであげられたパスタを薄皮を取った明太子とパターに突っ込んでガチャガチャと混ぜていく。
ピンポン、とチャイムが鳴ってから玄関から見慣れた隣人の姿が見えてくる。
「久しぶりです」
「おー、相変わらずひたちなかはお堅いんだぜ?」
「隣人と言っても大洗さんの方が年上でありますから」
あとはボウルごと出して取り皿を渡すと、ひたちなかはいつものようにボウルから自分の分のパスタを取っていく。
親の代から付き合いも深いこの隣人はそろそろこういった事にも慣れている。
「今年のゴールデンウィークは飛び石連休で助かりましたね」
「ほんとそれなんだぜ……観光地は休めない……」
ゴールデンウィークと言ったら国営ひたち海浜公園を有するひたちなかにとっては1年最大の稼ぎ時であり、同じく観光地たる自分にとっても稼ぎ時だ。
飛び石連休のおかげで間に挟まれた月曜日と金曜日は人が少なくて一息つけたが、それでもまたすぐに休日になって客が押し寄せるのだからあまり休めた気がしない。
県内の数少ない観光地である大子や陶芸イベントに忙殺される笠間辺りもゴールデンウィークが明けてようやくひと心地ついた、と言うところだろう。
「いい加減慣れつつありますけど相変わらず多忙で仕方ないですね」
「ほんとそれなんだぜ……」
明太子パスタをひとくち食べてみれば、意外に美味く出来てる。
ついでに冷蔵庫に入れてあるネストビールと月の井の梅酒も開けよう、と瞬時に心に決めた。
世間はゴールデンウィーク明けの月曜日だが気にするまい。どうせ自分たちはようやく得た休みなのだ。
「ひたちなか、酒要るか?」
「……いただきます」





ひたちなかと大洗にとってのゴールデンウィークって稼ぎ時だよなあと思いつつ。
月の井は大洗の酒蔵です、ガルパンのお酒で最近は有名ですが。

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花になんて頼るなら

せっかく東京まで来たのだし、と思い立って総武線に飛び乗って君津に来てみた。
「やあ」
「大阪に帰れ」
「一番最初にいう事がそれ言うんは酷いなあ、俺かて東京本社に呼び出された帰りなんやで?」
君津の手元には小さな小包の箱。
ちらりと見えたあて名は北九州となっていてああそういう事かと悟る。
「八幡さんに贈りもん?」
「うるさい」
「八幡さんは釜石さんに薔薇100本送ったって」
「は?!」
「今日東京本社行ったら釜石さんおってなー、愚痴られたわ。ぶっ飛んどるよなーあの人。一緒になるためなら犠牲も喧嘩も厭わん辺り怖いわあ」
それこそ資産価値の低い釜石と一緒になるために国に喧嘩を売り、自分の一部とも言える施設を外し、周囲の(主に君津)反対を押し切って一緒になったのだ。
あの人は昔からそういう人だ。それはきっと君津が一番よく知っているはずだ。
君津の顔がひどくゆがむ。
「なあ、それ俺にくれへん?」
「何が悲しくてあんたに……」
「俺なら八幡さんなんかより大切にすんで?」
「八幡製鉄時代生まれとは思えない発言だな」
別に軽んじている訳じゃない、君津のように妄信的になれないだけだ。そう反論してもきっと届くことは無いだろう。
理由は単純。君津にとって八幡は世界の中心で彼の正義で彼が愛されたいと願う唯一の存在だからだ。
ただ八幡は君津が八幡に向けるのと同じ量の愛を向けてくれない。そこには不平等な感情のやり取りがあるだけだ。
釜石に対して奇行めいた好意を向けるしかできないこの感情の不均衡を理解していない八幡と君津とが結ばれるはずがないのだ。なら諦めて自分に落ちてくればいい。
四日市の名残りが欲しいだけならわざわざ会いに来るはずがないのだ。
「好きやで、君津」
花言葉なんてものに頼らなくたって簡単に愛は伝えられる。




ぴくぶらに投げたお話その3。
全部分かってる

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花言葉にしか頼れない

毎年、母の日のプレゼントという名目で薔薇の花を贈る。
紅色の薔薇を1本とメッセージカードという愛想のない組み合わせは自分なりに考えた末のやり方だった。だけれどこの気持ちが正しく伝わったことなど一度もなく今に至っている。
たぶん方法が悪いのだという自覚はあるが、遠回しにしか伝えようがない。
八幡の唯一はもうずっと釜石だけだ。
自分が生まれる遥か前からそうだったので勝ちたいと願いながらも勝てないことをなんとなく分かっている。
(今年こそ、ちゃんと届きますように)
それでもまた懲りずに薔薇の花を贈るのだ。


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紅色の薔薇の花言葉は「死ぬほど恋い焦がれています」
一本の薔薇は「あなたしかいない」


ぴくぶらに投げたお話その2

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