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コーギーとお昼寝

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ナイトウォーカー4

周囲を見渡せばざわざわとざわめく人。
第1高炉の周辺には悲鳴にも似た声が辺りを飛び交い、私はその場に立ち尽くしている。
幼い私はただそこに立ち尽くしてその事実に放心している。
映画の世界に潜り込んだような気持ちでその光景を眺めていた時だった。
「八幡、」
そう呼びかけた釜石は少し悩んでから「……茶でも飲みに行こう」と告げてきた。
「あんまり失敗を引きずるのは良ぉないからな」
「しっぱい」
釜石の言葉をほんの幼い頃の私がころりと口で転がす。
(これは私が出銑に失敗した日の光景だったのか)
1901年(明治34年)11月、作業開始式の光景だった。

****

そうして釜石が部屋に幼い私を連れ戻すと、煎茶と小倉で買ったというカステラを出してきた。
当時はまだ物珍しいお菓子だったカステラであっても幼い私の心を晴らす事は出来ないようだった。
「八幡、」
「はい」
すっとカステラの一切れが幼い私の口元に寄せられる。
釜石は目でこれを食えと告げていて、幼い私はそれをぱくりとほおばった。
「……おいしい」
「じゃろう?悲しくなったら美味しいものを食うんじゃ。そうすると自然に涙は引っ込む」
そう言えば釜石はそうだったな、と思い出す。
悲しい時ほど美味いものを食って悲しさを忘れようとする人なのだ。

「それに、わしと素晴らしい外人さんらに育てられたお前が劣等生な訳がない」

釜石は私を励ますとき、よくそう言った。
それは昔からそうだった。ひどく自信を無くしそうになるといつもそうして私を慰めに行く。
まったく嘘偽りのない声色の強さで私はようやく私を肯定するのだ。
「私は、あなたの一番弟子ですもんね」
「おう」
「失敗は成功のもと、ですしね」
「ほうじゃ、ちょっとやそっとでへこたれるな」
幼い私は釜石の力強い肯定を受けると、元気が湧いてきたのか顔色から暗さが取り除かれる。
(この頃から私は釜石に弱かったんですねえ)
そう思うとなんだか苦笑いすら出てくる。
この幼い私の世界の根っこには釜石がいて、彼が肯定さえしてくれればそれでよかったのだ。
きっとこれ以上幸福な時代は無いだろう。
ぺらりと風に揺れたカレンダーには釜石の帰郷の日が近い事が記されていることには気づかぬふりをした。




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