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コーギーとお昼寝

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絆繋いで六角堂:後編

2011年、冬。
柱も組みあがったことを祝う棟上式の日。
「いわきさん、来てたんだ」
「いや、ちょっと様子が気になったのと東京に呼び出されたついでだ」
「棟上式終わっちゃったけど、様子見る?」
「いいのか」
「だいじょーぶだって、バレなきゃ」
「・・・・・・ならやめとく」

絆繋いで六角堂

年が明けて2012年4月、少し肌寒くとも晴れた日のことだった。
「映画、クランクインしたのか?」
「そうそう、映画のスタッフさんが昨日メールしてくれたんだよ」
去年の夏ごろから浮上した震災復興映画の計画は六角堂竣工式の次の日から本格始動した。
行政としては映画のほうにも結構力を入れていたこともあり、映画PRもしていた。
「うちのフラガールみたいに成功するといいが」
「ああー、確かにいわきさんところのフラガールは成功してたよねぇ。筑西のところの君がいた夏はいまいちよく分からないけど」
「吉本が一枚噛んでるからだろ」
「それもそうかもねぇ」
「竣工式には浮かれないんだな」
「当たり前でしょ、大津の市場が再開してもまだ風評被害があるし。六角堂再建は復興の第一歩、そうだと思わない?」
「・・・・・・それもそうか」
六角形だか八角形は中国で世界を現すという。
この小さな世界、六角堂復興は僕らの新たな始まりに過ぎないのだから。




おわり






おととい放映された六角堂再建のドキュメンタリー見ました!
とりあえず私の脳内は本当にいわきと北茨城大好きなんだなと思ったのですが、それ以上に「茨城県真壁市」に目玉が落ちそうなほど驚いたのですが、あれはテレ東さんの盛大なボケだよな?盛大なボケなんだよな?と思わず問いただしたくなりました。

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絆繋いで六角堂:前編

2011年3月は残酷な一ヶ月だった。
震災で家屋の倒壊、津波で家も流され、原発事故で地元野菜や鮮魚が売れなくなり、追い討ちをかけるようにもたらされた知らせに絶望した。
「五浦の六角堂流出?」
それは親からもたらされた大切なものだった。

絆繋いで六角堂

時をさかのぼること90年近く昔、明治の中ごろ。
東京にあった日本美術院が五浦に移転してきて、その時に岡倉天心が海のそばに建てたのが六角堂だった。
その数10年後に生まれたのが北茨城市、つまり自分だ。
六角堂は地域観光の目玉でもあり、僕が生まれたときから存在する五浦の象徴だった。
その六角堂流出は地域産業にも影響を与えるし、なにより朱色の六角堂の無い五浦というのは寂しい。
「六角堂再建は当たり前でしょう、あれはうちの持ち物ですし」
「ですよねー」
「いま学内のプロジェクトチームが計画を練っています、1年がかりになるでしょうが資料と募金を集めてやっていく他無いでしょう」
「茨大も大変だね・・・・・・・」
「地方公立大なんてそんなもんですよ」
24時間不機嫌そうに見える茨大(なんせ六角堂の所有者は茨大だからね)はやっぱり今日もいつもどおり不機嫌そうだった。

*                *

学内プロジェクトチームが考え出した計画を僕はじっと見守っていた。
「おい」
「あ、いわきさん!お疲れ様です」
「勿来の杉こっちで乾かしてるんだろ?様子見に来た」
「うん、海のほうでね。」
「・・・・・・ま、うちのもん使ってくれるのはうれしいけどな」
「でしょ?あと白河石と三州瓦とベンガラの調達も残ってるけどねー」
一通り連絡はできてるし、基本的には茨大主導の再建計画なのでこちらとしてはそう派手に動かないんだけれど。
しかし不思議なことにほとんど茨城とつながりのある市町村のものなのは不思議だ。
白河石の白河市は白河結城家の城下町だし、ベンガラを提供してくれた高梁市は筑西の友好都市だし。
「きたにぃ?」
「あ、桜川!」
「知り合いか?」
「六角堂再建のときに明治の頃には石灯籠があったらしいから石灯籠も建てようってことになってね、桜川に依頼することにしたんだよ」
桜川には真壁の頃からの石材加工技術がある、そこを踏まえてのチョイスだったらしい。
「きたにぃ、このひとがいわきさんなのですか?」
「そうだよ~、かっこいいでしょー」
「さくらがわなのです!」
「おお・・・・・」
「ま、今回はよろしくね」
「しーくんこそよろしくなのですよ!」
「そうだ、ふたりにならちょっと話してもいいかな」
六角堂再建計画と同時進行のある計画の話をすると、なるほどとわらった。









つづく

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そんな頃の昔話

朝6時。
ピンポンが五月蝿く音を立てる。
ああよだきぃ、と呟きながらもう一度布団にもぐる。
お布団まじぬくい。幸せ。
「常陸太田ー、お前がここにいるのはわかってんだぜー」
「よだきぃから大洗は帰りかえ」(~かえ=~しなさい)
「しーごーとーしーろーよー、って水戸が言ってるんだぜ」
「やけど断るから帰りなさい」
「うぇー?」
そういうと呆れたように日立の声がした。
「・・・・・子供じゃあるまいし」
「ガキでいい。よだきぃ。寝たい。それに仕事なら牛久がいるし」
「牛久に呆れられるよ」
大分からのお客と過ごした数日間は楽しかったし、よだきぃと思う暇すらなかった。
だけどおととい帰ったからいないし、臼杵市も牛久いい奴だし、家にいるときは寝ていたい。
「牛久やからしょわなあ」
「・・・・・・柚子こしょうあるんだけど」
「分った、ちょこっと待っちて」
あいつには思い出がある。
いい奴だし、湯布院に招待してくれたし、ご飯美味しかったし。
その柚子こしょう1本で折れてあげよう。






(でもよだきぃわ)






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