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コーギーとお昼寝

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太陽が昇る海3

釜石が周囲から見て特別な存在であることに気付いたのはそれから2~3日経ってからの事だった。
朝から俺を近所の無人直売所に行かせて新鮮な野菜を買い込んで作った天ぷらの美味しさ。
八幡は釜石に会いに行くからと上機嫌で出て行った時の声のハリ。
俺を愛してくれているはずの八幡にもあんな顔をする人がいるのだということに、あの頃の俺は少なからず嫉妬をしたのだ。
「八幡、また大阪に行くん?」
「そろそろ堺の様子を見に行かないといけなくて」
「俺のこと気にしてくれんの?」
「私だって仕事なんですよ」
八幡は聞き分けのない子供を宥めるような声でそんなことを言う。
堺とはまだ会ったことは無かったが、既に操業開始から5年が経って既に安定的に動いていたことを考えれば八幡が気にかける必要はあまりなかったはずなのだ。
その理由は後々知ることになるのだが当時の俺にはそんなことは関係のない事だ。
「ここに残ってくれんといや」
「だからそれは無理なんです……戸田、明日は君津の好きなもの作ってあげてください」
「だってさ。諦めなよ、君津」
「うー……」
俺が渋々と言う顔と雰囲気で八幡から離れると、行ってきますとだけ告げてうちを出て行った。
「君津はほんとに八幡好きに育ったな」
「何なん」
「いや、何でもない。明日、何食べたい?」
「チキンカレー」
「了解。明日直売所行くよ」
今思い返せばきっと東京は俺が八幡の特別にはなれないことを分かっていたのだ。
俺と八幡と東京だけの小さな世界はきっと釜石の存在を理解した時からひびが入りだしたのだと、今なら分かる。

****

あれは確か夏も終わりの8月の末頃だった。
「俺は住友金属鹿島、君と友達になりに来たんだ」
突如俺の元にやってきた少年は海の青とキャラメルカラーを纏い、波の輝きに似た笑顔をこぼした。
いつだって鹿島はわが道を突き進んでいて、こうやってわざわざ脱走してまで俺のところに来てしまうようなところがあった。
「……ともだち」
「うん、友達。うち年上ばっかりで年の近い人いないから対等な友達が欲しかったんだよね」
俺は少し返事に迷いつつも、こくりと頷くと「じゃあ、よろしくね」と鹿島は笑う。
そうして友達になった鹿島は俺の小さな世界に入ったひびを大きくさせてきた。
和歌山が不在の時にこっそりと抜け出してはわざわざこの君津の地まで遊びに来て、時には千葉の元まで連れ出すことさえあった。
「ちーばー!」
「鹿島じゃん、ひさしぶりー」
俺よりも少しだけ年上の少年がふわりと笑って手を振る。
ワインレッドの瞳の温かさは俺たちを歓迎しているものだという事はすぐに分かった。
川崎製鉄千葉と鹿島は会社こそ違えど友達になっていて、こうして君津の町から外に出ない俺を引っ張り出すことさえあった。
2~3度遊んでいくうちに周囲を振り回す傍若無人な鹿島とそれを面白がる最年長の千葉を諫めるのが俺の役割のようになっていて、呆れながらも俺自身それを楽しんですらいた。
鹿島の底抜けの明るさと千葉の面白がりな気質は俺の周囲にはないものだった。





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17.6.17千葉について少し追記

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太陽が昇る海2

施設内はまだ設備が十全ではないので、俺は会社の借り上げた部屋に東京と一緒に暮らすことになった。
本来なら八幡が共に暮らすことになるのだが、まだ操業開始から日の浅い堺の存在や豊橋の製鉄所構想もあって八幡はかなり多忙だったので代わりにという事だった。
「君津ー、夕飯食べないのー?」
「食べるに決まっとろうが!」
「……前から疑問だったんだけど、なんであんた北九弁なの?」
「知らん。気づいたらこうやった」
この頃の俺はずっと北九弁を使っていて、東京はいつもそれを変なものを見るように見てくるのだ。
もっとも、この頃の君津の街なかは八幡から多くの人が転居してきて町中には北九弁が響いているような状態だったので決して不自然なものではない。
とはいっても一応俺はこの土地で生まれた付喪神なので東京からすれば不自然に見えたのだろう。
「君津、戸田、邪魔しますよ」
「八幡が来たばい!」
バタバタと俺がその声の方に突進していけば、仕事上がりのスーツを纏った八幡の姿があった。
そして迎えに来た俺を見ると軽く目じりを下げて喜ぶので、俺はそれを見るといつも幸せな気持ちになれた。
「八幡、何しよん?」
「君津の顔見にですよ」
そうして俺の頭を軽く撫ぜてからいつも部屋にあがってきた。
机の上には東京が自ら拵えた魚の煮つけと青菜のおひたしにごはんとみそ汁が並ぶ。
食事作りは見た目こそ幼いがひとり暮らしの長く、まだ《男子厨房に立つべからず》という時代の名残りもあって東京の役割になっていた。
いつ八幡が訪れてもいいように三人分の夕飯を作っているから東京がふらりとやってきても対応できたし、残っても近所に住む顔見知りの胃に収まっていた。
「戸田は本当に料理が上手ですねえ」
「一人が長かったからね、あと君津は好き嫌いしない」
「そうですよ、しっかり食べないと大きくなれませんよ。食べることも私たちの務めです」
「分かった……」
「明日は来客があるんですから、人前で好き嫌いしないでくださいね」
「来客って?」
「ああ、明日釜石と都内で会うんです。そのついでに君津や戸田の顔を見に行きたいと。君津とはまだ会ってないでしょう?」
「なるほど。ついでにご飯も食べてくってこと?」
「そういう事です」
釜石の名前はうっすらと聞き覚えがあった。
(八幡の知り合い、かぁ)
どんな人なのだろうかと考えてみたけれど、全く想像がつかない。
ただ八幡がその名前をあげたときに、ひどく楽しそうな顔をしていたことだけが瞼に焼き付いていた。

****

あくる日の昼過ぎ、釜石は八幡と共にうちへやってきた。
5月の眩しい日差しで冷たいものが食べたいからと東京が作ったひやむぎと、八百屋に出ていた蕨やたけのこの天ぷらが食卓を彩った。
「初めまして、富士製鉄釜石製鉄所じゃ。よろしゅうな」
青い単衣の着物に身を包んだ八幡よりも年上らしい男性が俺に笑いかけながら軽く頭を撫ぜてくる。
その後ろで八幡がどこかとろりと溶けたような瞳で俺たちを見ていた。
「子供の頃の八幡によぉ似とるな」
「そうですか?」
「髪質とか目元の印象とかそっくりじゃぞ」
「よく分かりませんけど……釜石が言うなら、そうなんでしょうね」
「おう。君津、お前はきっと今に賢くなるぞ」
「八幡よりおおきなって仕事いっぱいするようになれるん?」
「間違いなくなれるぞ」
釜石の無邪気な褒め言葉を受け入れて素直に喜ばしい気持ちでいた。
いま思えば無邪気なものだと笑ってしまうが、そんなこともあったのだと温かな気持ちにもなれる良い思い出だ。


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太陽が昇る海1

あの頃の俺にとって、八幡は太陽だった。
東京湾の片隅に一人だった俺を慈しみ育ててくれた八幡と、兄妹のように育った東京、そして従業員。
それがあの頃の俺の世界の全てだった。

太陽が昇る海

1965年(昭和40年)4月の君津は話題性に満ちた春だった。
長く続いた漁協との交渉や米軍の飛行ルートに端を発した騒動が収束し、八幡製鉄君津製鉄所が稼働したのだ。
目が覚めてすぐに俺が初めて見たのは、目の前に広がる春の東京湾とその光だった。
「いた、」
ぽつりと呟いたのは俺よりも少し大きな姿をした礼服に身を包んだ少女だった。
適当に伸ばした髪をざっくりとゴムで止めた彼女はじっと俺を見た。
「八幡ぁー、君津いたよー」
「ああ……ここにいたんですね、君津」
仕立てのいいスーツを着た彼に名前らしきものを呼ばれた時、唐突に全てを理解した。
自分の名前が君津であること、そして自分がこの製鉄所の付喪神であること、彼らは自分の兄弟分のようなものであることを、ここで自分は生きて死んでいくことを。
そして俺はじっと二人を見た。
「君津。あたしは八幡鋼管東京工場、あんたとは兄弟分になる。呼びにくかったら戸田でいいから。」
「戸田はもう少し愛想よくしたらどうです?」
「兄弟分なんだし別にいいでしょ」
「ああ、話がずれましたね。私が八幡製鉄八幡製鉄所です、どうぞよろしく」
八幡からそばされた手を受け入れて握手をし、そのまま事務所へと連れていかれた。
そうして俺は人々からこの製鉄所を守る付喪神として歓迎され、ここで暮らすことになったのだ。





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幼少期の君津のお話です。たぶん7話くらいで終わるはず。
16.11.29東京の名前について修正。

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ナイトウォーカー6

「……さん、八幡さん!」
職員の呼びかけで目が覚める。
夕日の差し込む旧本館で私はうたたねをしていたようだった。
「立ったまま寝るなんて器用な芸当よく出来ますね」
「すいません、ご心配おかけして」
「職員一同の心臓止めにかかるの止めてくれませんか?あなたはここの神様なんですから」
「ここの神様は宿老でしょう」
「そう言う意味じゃなくて……」
茶化すようにそう告げてみるとまだ若い職員は呆れていた。
5倍は生きているはずの存在である私がこんな子供のようなふるまいをするなんてきっとこの目の前の青年からすれば予想外なんだろう。
「なんだか今日は寝すぎたのか眠いですねえ」
「じゃあもう寝てください」
「そうさせていただきますかね、ご迷惑をおかけしました」
今日はずっと釜石の夢ばかり見ている。
家に帰って寝たらまた釜石の夢を見れるのだろうか。
(それならば悪くはない、なんて)
子どもみたいなことを考えてしまった。
ずっと私の唯一だった人は覚えているだろうか?
私に贈ってくれたあの万年筆の事を。

****

1902年(明治35年)官営製鉄所は僅か1年で官営製鉄所は操業停止に追い込まれた。
原因は想定よりも少量しか銑鉄を生産できなかったことによる赤字で、その原因追及のため調査委員会が設置されて周囲はにわかに騒がしくなった。
慣れ親しんでいた外国人技師たちの解雇や新たにコークス炉を増設することになったことに起因する身体の変化は私の精神には苦しいものだった。
無理やり内臓を素手で弄られるような痛みを紛らわすのは、釜石との手紙のやり取りだけだった。
まだ未成熟の私の体にはそれは激痛であり、それにただ耐え忍ぶことしかできなかった。
その苦労が報われるのは3年後の事だった。

1904年(明治37年)2月。
「……官営製鉄所再開?」
「ああ、この度日本は露西亜に宣戦布告をしたのは知っているだろう?」
「新聞で読みました」
「この戦争で勝つには鉄が必要だ、コークス炉も完成して安定した鉄の生産が可能になった事を踏まえて4月にもう一度火を入れる」
その言葉に私の心は高揚した。
ようやく私はこの場所の付喪神としての働きが出来るのだ!鉄を生み、この国の柱となれる!自らの生まれた理由を果たす以上の喜びはそうそうない、
この喜びを釜石に届けたかった。
手紙越しに私をずっと案じてくれた師の姿がよみがえる。
部屋を出て私は早速手紙を書いた。
伝えたいことが便箋にあふれ出て来て、それを無理やり糊で止めて手紙を出した。
返事はすぐに届いた。
『おめでとう』
たったそれだけの一筆箋とお祝いにと添えられた薄い桜色の万年筆を私はぎゅっと抱きしめた。


(この万年筆は大切に使おう)

胸の奥の密やかな決意と共に私は冬の終わりの空を見上げた。



-終-

八幡過去編完結です。
そのうち神戸の過去編を書きたいと思ってるのですが、いったいいつ書けるのかは謎です。

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ナイトウォーカー5

元々釜石の帰郷は出銑が終わったらという事になっていて、出銑に失敗しようが何だろうがどちらにせよ帰る日は決まっていた。
出銑が失敗に終わり職員一同が上からの対応に追われていたので釜石から来た技術者らも帰郷の一度日付けを伸ばして対応に当たったが、どちらにせよ一度帰らねばならないことは明確だった。
釜石の帰郷が近づくにつれ、幼い私は壁に当たり散らすようにガンガンとぶつけていた。
(そう言えばあの壁のへこみはこの頃に作ったものでしたっけ)
ストレスをためるとすぐ壁に当たるものだから煉瓦がだんだんすり減ってへこみになったんだ、と思い出して苦笑いすらする。
それでも他人に危害を加えなかったのは付喪神として自分よりも弱いものに手を出すのは卑怯だという矜持だった。
釜石の帰郷前夜の真夜中、私はその日は壁をガリガリと削って八つ当たっていた。
「……八幡?」
月の灯りだけが差し込む私のベッドの横で寝間着一枚の釜石が声をかけてきた。
「眠れんのか?」
どう答えたらいいのかも分からない幼い私はぷいっと視線をそらすので、釜石は「壁の事は怒らんから正直に言うてみぃ」と付け足した。
削りかすの落ちたベッドに腰かけて目線を合わせた釜石に「ほんとうに?」と尋ねれば「おう」と返してくる。
少し思案をした後「……ここのところ、眠れないです」と告げると「やっぱりか」と呟いた。
後になって釜石にこの時の事を聞いたことがあるが、釜石は気づいていたのだけれど元から遅寝だったので眠くないのか眠れないのかの判断がつかなかったと言っていた。
「散歩するか」
「はい?」
「安眠の妖精を探しに行くんじゃ。ええっと、何と言うたか……」
「ウィリー・ウィンキーですか?」
「そいつじゃ」

****

初春の八幡の村に出て、何のあてもなく歩き出す。
ぽっかりと浮かぶ満月は私達二人きりの夜道を明るく照らしてくれる。
釜石とつないだ手の熱だけが私に伝わってくるぬくもりだった。
「釜石、」
「うん?」
それは民家の軒先に咲く桜の木だった。
黒塗りの塀を超えるほどの大きな桜の樹は月明かりの下で幽玄に咲き誇り、満月の中で輝くようだった。
「……この時期でも咲いてるのか」
「釜石のところではもっと遅いんですか」
「ほうじゃな、だいたい4月の終わりか5月の頭ってところか」
「じゃあ、そっちで桜が咲いたら教えてください」
「そんくらいならいくらでも」


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