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コーギーとお昼寝

市町村・鉄道・企業・スポーツチーム擬人化よみものサイト、オンラインブクマはご遠慮ください。

3月の夜に沈む

「『夏から春のすぐ来るやうな、そんな理窟に合はない不自然をどうかしないでゐていださい』」
今日だけでいいから添い寝して欲しいとねだられて数十年ぶりに同じ部屋で寝た翌朝、八幡が唐突にそんな言葉を漏らした。
確かそれは少し前に出た人気の詩集に出てくる言葉だ。
「なんで今それなんじゃ」
「『小鳥のやうに臆病で大風のやうにわがままなあなたがお嫁に行くなんて』」
そういうことか。言いたいことは理解した。
この男は拗ねていてるのだ。
突然訪れた別れを惜しむことなくあっさりと受け入れた事に対して自分はその程度の存在だったのかと子供のように不機嫌になっている。
「『元素智恵子は今もなほわたくしの肉にいてわたくしにわらふ』……物理的に離れたところで精神は離れんさ」
「釜石は、私がいなくても平気そうなのが嫌です」
どこぞの詩人が言うところの≪茶色い戦争≫が終わり、政治の判断により自分たちは別れて暮らすことになった。それを彼は嫌っているのだ。

「一人になったとしても、生きていくしかないからなあ」

そう言った人間らしい感情を持つには自分はあまりにもたくさんの人間の生と死を見過ぎてしまったのかも知れない。
自ら死ぬことの出来ないこの不便極まりない身体を抱えてただ歩くほかないのだ。





戦後の八幡と釜石のある夜の一幕。
引用した詩はこちらを参考にどうぞ。茶色い戦争は書かなくても分かるだろうけど中原中也です。

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蘇州夜曲

「きーみがみ胸ーにーだかーれて聞くはー♪」
「なにその歌」
台所仕事のついでに蘇州夜曲を歌っていたら、西宮はさっぱりわからないという顔で直截的に聞いてくる。
「李香蘭の蘇州夜曲、知らない?」
「いや」
「そうかい」
葺合ももう少し映画や本を読ませておくべきだと思う。
もっとも、葺合の性格なら『甘ったるい映画見る暇があるなら勉強しておけ』と言うだろうし堅物もあそこまで行くと救いようがない。
出来上がった牛肉の大和煮を器に盛りながら、西宮の手元に目をやれば帳面にはびっしりと作り方の手順が書き込まれている。
葺合のためにわざわざ作り方を聞きに来るこの可愛らしい妹分はアレのどこに惚れたのか、と言うのはいつも思う事だ。
(まあ久しぶりに肉にありつけるのはありがたいけどねえ)
戦争が始まって肉や砂糖はみんな兵隊さんにとられて一般にはあまり回らなくなったが、軍に伝手のある西宮がこれらを持ってきてくれたのはありがたかった。
「出来上がった分、私らで貰っていいんだよね?」
「うん。葺合の分は残してあるから帰ったら作るよ」
西宮がにこりと笑うので、つくづくこういう風に笑う妹が欲しいものだと苦笑いした。





此花と西宮。
タイトルの曲は昭和15年の曲なので西宮と和歌山が生まれた次の年のものだから覚えてないのはしょうがないよね。

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紅菊のかんざし

「神様は恋に落ちない」を前提としたお話です。


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走る男と追う女7

阪神製造所に統合されてから、私たちの生活は穏やかになった。
川崎製鉄の顔役としての仕事を千葉に譲って私たちは生活のほとんどを神戸の街で過ごした。
私は葺合に渡された古い万年筆で仕事をこなし、葺合は私がプレゼントした手帳を愛用してくれた。
「西宮」
「はい?」
「昨日此花から聞いたんだが、ずっと俺のことを好いていてくれたんだろう?」
「……聞いちゃったんだ」
「ああ。そう聞いたら嬉しくなった」
葺合はそう告げると、見たこともない穏やかな顔で私に笑いかける。
ずっと追いかけてきた姿がそばで笑いかけてくるのは正直心臓に悪い。

「だから、ありがとう」

****

1994年(平成6年)3月、阪神製造所廃止。
葺合は水島製鉄所神戸地区になり、私は千葉製鉄所西宮地区となった。
しかしそれでも私たちの関係は変わることは無かった。
そしてこのまま一緒に生きてゆけるのだと信じていたのだ。

葺合の廃止が告げられたのは、1995年(平成7年)の春の終わりのことだった。









―振り向くな、振り向くな、後ろには夢が無い。
―ただ前を向いて走る事だけが、未来への最短距離だ。
私は神戸の街を走った。
愛する男の姿を必死に探し求める足は止まることは無い。
心臓はバクバクと鳴り響き、浅い呼吸を繰り返しながら私はその姿を探し求めた。
遠くで鐘の音が響く。
いつもなら鳴るはずのない鐘の音を聞いて、私は唐突に理解した。

(これは、葺合を弔う鐘だ)

戦後を走り続けた男は私だけを残して、去っていった。



という訳で葺合西宮一挙更新キャンペーンでした。
川崎製鉄時代はちょっと濃すぎて頭くらくらするぐらいなのでみんな見てくれ。

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走る男と追う女6

巨大化する千葉に並行し、水島の誕生、いくつかの工場の廃止、事業の譲渡と新事業の開始、葺合の足は止まることが無かった。
そして私もまたそれを追いかけてきた。
しかし、いつかはその足も緩んでいくのだ。

1978年(昭和53年)、冬。
「此花!どうしよう!」
「何の前触れもなくどうした……?」
「葺合にプロポーズされた!」
「は?」
とりあえず落ち着け、と私を机の前に座らせてお茶を淹れ始める。
ほかほかと湯気を立てる煎茶を一口呑めば心も少し落ち着いた、やっぱりコーヒー紅茶よりも緑茶の方が落ち着く気がする。
「とりあえずプロポーズって何さ」
「あ、いや、えっと……冷静に考えたら、あれプロポーズでも何でもなかったのかも」
「いや実際どうだったかは別にして何があったか説明してくれないと困るんだが」
「ええっと、葺合と私が来年春に統合されて阪神製造所になるからってこれを」
机の上に私は一つづつ渡されたものを並べていく。
古い万年筆、新品のカード入れ、川重兵庫の名前の刻まれた布のブックカバー、青いハンカチ、そして綺麗に磨かれた6ペンス銀貨。
「……サムシング・フォーだな」
「だよ、ね?」
唐突に電話のベルの音が響いて、ちょっと待ってと此花が席を立つ。
私が葺合に渡されたモノたちを見ながら考え込んでいるうちに此花が戻ってくる。
「夕方になったら迎えに来るってさ」
「えっ?」
「あと、それは間違いなく葺合からのプロポーズだよ」
私が固まっていると「祝杯でも開けようか?」と冗談交じりに聞いてくる。
「葺合のことずっと好きだったんだろう?」
「うん……きっと、生まれた時から」
此花は私の顔を驚いたように見つめてから、「じゃあ祝杯だ」と笑ってくる。
「でもお酒はダメ、迎えに来てくれるのに酔ってたら恥ずかしいから」
「はいはい、玉露でも開けるよ」
そうして此花が私の前に高級な玉露を差し出し、湯呑の玉露で乾杯をした。



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