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コーギーとお昼寝

市町村・鉄道・企業・スポーツチーム擬人化よみものサイト、オンラインブクマはご遠慮ください。

海の街の夏

飛行機と列車を乗り継いで辿り着いた今治は横浜よりも濃い潮の香りがする。
その濃厚な潮の香りの中に溶接の音や鉄を叩く造船所の音が混ざり合い、船の街の景色を構成している。
(そういや今治造船がビックリしてたな)
『渡田さんって生きてたんですか?!』とはなかなか酷い言い様だが、普段あまり外向きには出てこないものだから他業種である今治造船が把握してないのも仕方ないのだろう。
「渡田さん、」
一歩半後ろにいた西宮がふと口を開いて「時代は本当に変わりましたね」と呟く。
「まさか完全に造船を手放す事になるとはなぁ」
自分にとって親戚の弟だった浅野造船の面倒を100年近く見守ってきたが、その浅野造船が日立造船と共に暮らす事になった時も十分驚いたものだった。
そして遂にはその浅野造船は完全に己の手を離れてこの今治に拠点を置く今治造船の傘下へと入る事になったのだ。
「もし葺合がいたらビックリして腰抜かしてたと思いますよ、これで歴史ある造船系企業がみんな今治の傘下に入った訳ですからね」
「葺合は造船のための製鉄所だものなぁ」
川鉄という会社は川重の造船を支えるために作られた製鉄所が起源であるから、葺合と西宮にとって造船という業種は馴染み深いものでもある。
だからこそJFEの関係者として今回の会議に同席を望んだ訳なのだが、やはり思うところはあったのだろう。
「渡田さんも思うところはあったでしょう?」
「世話の焼ける従兄弟が嫁に出たって感じで、ちょっと感動はあるかな」
「確かにそんな感じかもしれませんね」
西宮がふふふと楽しそうに笑う。
手を離した従兄弟はこの先この今治の街でどんな日々を過ごすのだろう、そんなことをぼんやりと考えてみる。


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渡田と西宮。JMUが今治造船の傘下になるというので造船は専門外だけどちょっとした小話を。
渡田と葺合は造船にゆかりの深い場所なので実際そうなると聞けば一番反応しそうだよね。

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時間と水は流れてく

このところずっとバタバタしていたが、ようやくまとまった休みが取れたのでのんびりすることにした。
近所のうどん屋に行くと店主が随分年老いていて、角にあったコンビニが閉店してることに気づいた。
(当たり前ですけど、変わるんですよね)
その中で自分だけが置いて行かれるような気分になりながら、結局己の足はいつもの仕事場へと向けられる。
「八幡さんきょう休みじゃなかったんですか?」
「散歩してたら足が向いてしまいましてね」
私がそう告げると戸畑はやれやれと言う顔でため息をついた。
「そういうことなら、久しぶりに所内ゆっくり回ってきたらどうですか?このところ外向きの仕事ばかりだったでしょう?」
「そういえばそうですね」
戸畑に後を任せると製鉄所の中へと入っていく。
己の体そのものである風景はほとんど変わることなく、ただただ轟音をかき鳴らしながら生産活動を続けていく。
そうして歩き続けた先では高炉がもくもくと煙を吐いていた。
「♪ 焔延々波涛を焦がし 煙もうもう天に漲る……そんな時代もあったんですよね」
市歌に誇りとして歌われたこの高炉ももうすぐ役割を終える。
いまや高炉など製造設備としては無用の長物と分かっていても、やはり己の身を切るのは痛いし喪う事を切なく思う。
けれどそうする事でこの会社を立て直してきたのだ、切られてきた人々のことを思えば己の身を切ることも必要な事ではある。
そうして身を切って作り出した金をUSスチールへ投げ込むことで私たちが日米の鉄鋼産業の覇者となる。

(……大丈夫、この投資は成功する)

変わりゆくことは悪ではない、その変化を善とするか悪とするかは私の能力が決める。
この国の鉄を150年近く背負ってきた身としての責務をこれからも果たし続ける。

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八幡さんのはなし。USスチールのこととか、八幡の高炉廃止とか。
作中で八幡さんが歌ってるのは旧八幡市歌

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55年前を呼びだして

世間があんまり万博ばんぱく言うものだから、つい来てしまった。
「……久しぶりに来たな、万博記念公園」
今や通天閣や大阪城に並ぶ大阪の顔ともなった太陽の塔は今日も人に囲まれ大賑わいの中、しかめツラして仁王立ちしている。
なんとなく太陽の塔の写真を撮ってから3分ほどのんびり歩けば、懐かしい建物が見えてくる。
エキスポ70パビリオン。かつての万博の記録を公開する場所であったと同時に、八幡が私たちの顔役として動いていた鉄鋼連盟のパビリオンだった場所だ。
万博後も残しておくというので有名な建築家に頼んで結構しっかり作ったのに、しばらく放置されてたら10年くらい前にいきなり展示施設になっていた。
展示施設になってすぐの時に見に来たが、ここに来るのは久しぶりだ。

(見た目はそのままなんだよな、ここ)

扉を開ければあの時代のままの壁や床が飛び込んできて、かすかに頬が緩む。
(そういや初日に八幡・釜石・葺合・神戸なんてメンバーで来たんだっけ)
釜石が人ごみに埋もれて消えかかるたびに飛び出して回収していく八幡が面白すぎて、万博初日の混乱と大騒ぎに疲れていた私と神戸が大爆笑してたのを思い出す。
入場券を買って展示施設に入れば、そこはエキスポ70の世界の入り口だ。
今や懐かしく美しいと呼ぶほかない過去の展示物を眺めながら、薄暗い部屋へと踏み込んだ。
色とりどりのレーザービームに包まれた大ホールに響く武満徹の音楽。
見るだけの場所としてとどまるように立てられたガラスの壁の向こうに、55年前の自分の影が見える気がする。
あの頃信じていたどこまでも伸び行く素晴らしい日本は幻想だった、けれどその夢の名残は今もここにある。


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此花ネキ、万博記念公園へ行く。
ちなみに現在の万博会場からだと小一時間掛かるので気をつけよう!

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年の瀬に鍋を煮る

12月31日の夜を今年は職場で迎えることになり、年の瀬らしいものを作って職員さんに振舞うことにした。
鍋用の鶏肉や内臓と焼き豆腐・葱・春菊・人参をすき焼きのたれで煮込んでいるとポケットに入れていたスマホが震えた。
『名古屋か?』
「釜石さんどうかしました?」
『お歳暮の酒が美味かったからそのお礼にな』
釜石さんには毎年お歳暮を贈っているが、メールやラインでなく電話を寄こしてきたという事はよほど気に入ったのだろう。
「そういうことですか」
『あー……そういやお前さん仕事中とかじゃないよな?つい勢いで電話したが』
「大丈夫ですよ。かしわの引きずりを煮てたとこなんで」
『かしわのひきずり?』
釜石さんが不思議そうにそう聞くのも無理はない。
かしわの引きずりはこの辺特有のものらしく大同特殊鋼さんやトヨタさんといった名古屋周辺の企業さんはよく振舞ってくれたが、名古屋からちょっと離れると全く知らないという顔をされるのだ。
「鶏のすき焼きですよ、やり残しや引きずってることを年内の片づけるという意味で食べるんです」
『すき焼き食ってそば食うのか、ちょっと多くないか?』
「仕事で空腹のときにはちょうどいいですよ」
見ていると鍋がくつくつと煮えてきて、すき焼きの甘辛い香りがふわっと漂ってくる。
蕎麦は茹でてあるやつを買ったから暖かいつゆと冷凍天ぷらを乗せればすぐに終わるので、かしわのひきずりが煮えたら大晦日の晩餐の出来上がりだ。
「釜石さん、そろそろ完成するので電話切りますね。よいお年を!」
『ああ。名古屋んとこの職員さんたちにもよろしく頼むな。よいお年を!』



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名古屋と釜石。ぎじスクタグ祭り用の作品でした。
かしわの引きずりについてはこちらを参考にどうぞ

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愛し子よ大空を往け

試合終了の笛が鳴り響いた瞬間、私の瞳からじわりと雫が滲みだした。
「ただいまー……って水島?!何かあったの?」
すぐにハンカチを手にして私の顔を拭う福山はたぶんテレビを見ていなかったのだろう。
「ふくやま、あのね?ファジが、

うちのファジアーノが、ついにJ1に行くんだよ」

私が手放してもなお気にかけていた愛しい我が子の名前を告げると、福山は顔をほころばせて「やったじゃない!」と答えてくれる。
福山は私がファジアーノやヴィッセルを手放した時の事を知っているから、こうして私の気持ちを分かって一緒に喜んでくれるのだ。
「もう私の子じゃないけど、あの子は日本のてっぺんまで行ったんだよ」
涙と鼻水でぐずぐずの私の顔を拭いながら「そうね、ファジは水島の子よね」と笑ってくれる。
「やっど、やっどあのごがJ1にい゛ぐ゛ん゛だ゛よ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!!!!!!」
ファジが生まれてから今日までの事が走馬灯のように脳内を駆け巡った途端、また感涙があふれ出してくる。
そんな私を私を福山がよしよしと宥めつつ目元や鼻周りを拭いながら「今夜はお祝いね」と笑ってくれる。
「……ピザ、ピザ取ろう」
「そうね。今夜はピザ取ってファジ君にお祝いのメール送りましょ」
ファジアーノ、私の愛しい小さな雉鳥。
君を手放したことを後悔したくなるような羽ばたきをどうか、J1の大空で。



ファジアーノ岡山J1昇格おめでとう!

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水島ちゃんと福山さん。
ファジの昇格を聞いたら私の脳裏のみっちゃんが大号泣し始めたのでお祝いネタでした。

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